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同時代の[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ウィリアム・ターナー]]とともに、[[19世紀]]イギリスを代表する風景画家である。<br>西洋絵画の歴史においては、神話、聖書のエピソード、歴史上の大事件や偉人などをテーマとした「歴史画」が常に上位におかれ、「風景」は歴史画や物語の背景としての意味しか持っていなかった。[[17世紀]][[オランダ]]では風景画が発達したが、ヨーロッパ全土で風景画が市民権を得るには、[[フランス]]のバルビゾン派、イギリスのターナーやコンスタブルが登場する19世紀を待たねばならなかった。
コンスタブルは[[1776年]]、ロンドンの北東にあるサフォーク州イースト・バーゴルトに裕福な製粉業者の子として生まれた。画家を志したのは比較的遅く、20歳の時、商売を覚えるためロンドンへ出たときに、ジョージ・スミスという風景画家に出会ったのがきっかけという。[[Image:John Constable 017.jpg|thumb|right|200px|主教の庭から見たソールズベリ大聖堂 1823 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン)蔵]]
ロマン派色が濃く、劇的な画面を創造したターナーに対し、コンスタブルは終生、故郷サフォーク周辺の身近な風景を描き続けた。野外での制作を始めたこと、刻々と変化する光の効果を捉えようとしたこと、パレットで色を混ぜ合わせるのでなく、画面上に異なる色価の筆触を並べる(たとえば微妙に色調の異なる緑のタッチを併置する)など、その制作態度や技法は印象派に先駆するものといえる。
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