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[[画像:MitchKapor.jpg|thumb|ミッチ・ケイパー]]
'''ミッチェル・デイビット・ケイパー'''('''Mitchell David Kapor''', [[1950年]][[11月1日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[プログラマ]]、[[実業家]]、[[投資家]]、社会運動家、慈善家。[[ロータス (ソフトウェア)|ロータスデベロップメント]]社の設立者にして [[Lotus 1-2-3]] の開発者
[[オープンソース・アプリケーション財団]]代表。[[カリフォルニア大学バークレー校]] School of Information 助教授。[[リンデン・ラボー|Linden Lab]] の役員、[[ウィキメディア財団]]の諮問委員会メンバーも兼務している。[[サンフランシスコ]]在住。
== 経歴 ==
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この成功を機に、[[1982年]]にロータスデベロップメントを設立。[[ジョナサン・ザックス]]と組んで表計算ソフトの開発に取り組み、完成した Lotus 1-2-3 は同年秋の COMDEX で発表された。画面上で見られるオンラインヘルプ機能やチュートリアル用のディスクが初めて提供され、また顧客サポートのための専門部門も初めて設置されたことでユーザーからの圧倒的な支持を得、瞬く間に表計算ソフトのトップシェアを獲得した。ケイパーは1982年から[[1986年]]までロータス社の社長(後に会長)兼最高経営責任者を、[[1987年]]までディレクターを務めた。[[1983年]]に同社は5300万ドルの収益を成し遂げ、[[1984年]]には1億5600万ドルにまで収益を倍増させた。従業員の数は[[1985年]]までに1000人以上に達した。
1986年に退社後、[[1990年]]にデジタル権利活動家の[[ジョン・ペリー・バーロウ]]、[[ジョン・ギルモア]]らとともに[[電子フロンティア財団]]を共同設立。[[1994年]]まで議長を務めた。[[2001年]]には
このほか、ベンチャーキャピタルのケイパー・エンタープライズ、環境衛生に対する慈善団体のミッチェル・ケイパー財団も運営し、[[Mozilla Foundation]] や[[ウィキア]]を含む多くの企業に資金援助を行っている。活動家である妻 Freada Kapor Klein とともに、教育と職場に公正さを提供する民間非営利団体の Level Playing Field Institute も設立している。
== 外部リンク ==
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* [http://blog.kapor.com/ ミッチ・ケイパーのブログ]
[[Category:アメリカ合衆国の実業家|けいは
[[Category:ソフトウェア作家|けいは
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[[Category:1950年生|けいは みつち]]
[[de:Mitch Kapor]]
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