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*'''五代目新兵衛・乾豊彦'''
「関西のうるさ型」といわれた乾豊彦は、中京財界の大立者といわれた'''高橋彦治郎'''(後に彦次郎に改名)の七男として名古屋で生まれた。幼少から父の勧めで書道、能楽、茶道などを習ったことが、後に歴史や伝統を尊ぶ心につながる。三井物産時代、'''日本鉄線鋼索'''の経営者'''乾新治'''の一人娘の道子と結婚。乾家に入るが、義父の急死で、弱冠33歳で'''乾汽船'''の社長に就任し'''乾倉庫'''などの事業を引き継いだ。豊彦は[[太平洋戦争]]を乗り越えた敏腕の実業家でもあったが、戦後の時代に、批判されながらも広野ゴルフ場の再建にいち早く着手した無類の趣味人で、[[広野ゴルフ倶楽部]]理事長、[[関西ゴルフ連盟]]理事長、[[日本ゴルフ協会]](JGA)名誉会長を務めた。
 
 
==旧乾邸==