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また[[後漢]]末期、[[漢詩|五言詩]]の[[中国文学|文学]]が確立され、魏晋南北朝時代を通じて[[平仄]]や[[押韻]]といった形式が整えられていった。そこで現れたのが[[韻母|韻]]によって漢字を分類した[[韻書]]であり、南北が統一された[[隋代]]には『[[切韻]]』が編まれ、以後の韻書の基準となった。
 
南北朝時代の間に漢字の[[書体]]の標準は[[隷書]]から[[楷書]]へと移ったが、分断と繰り返される王朝交代のなか多くの[[異体字]]むにいたっまれた。統一王朝となった[[唐代]]にはそのような異体字を整理する試みがなされ、『[[干禄字書]]』といった異体字字典が生まれた。
 
[[遼]]・[[金 (王朝)|金]]・[[元 (王朝)|元]]といった異民族王朝に支配された時代、唐宋を通じて獲得された言語学的な知識が韻書にも字書にも盛り込まれた。[[五音]][[三十六字母]]といった[[声母]](頭子音)に関する[[韻図]]の知識が応用され、遼の『[[龍龕手鑑]]』、金の『[[五音篇海]]』では部首が[[子音]]・[[声調]]順に並べられ、韻書においても小韻の配列を子音・声調順にした『[[五音集韻]]』が編まれた。韻目数も併合され、206韻を106韻に減らした[[平水韻]]が行われるようになり、元の『[[中原音韻]]』は[[四声]]・[[韻母|韻]]順をやめて韻・四声順とし、『切韻』の古い音系ではなく、当時の音系に基づいた16韻部によって漢字を分類した。
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*[[和爾雅]]
*[[東雅]]
== 字体 ==
*[[干禄字書]]
 
[[Category:字書|*]]