「成田空港管制塔占拠事件」の版間の差分
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===地下道侵入===
3月25日深夜、[[前田道彦]]をリーダーとする行動隊(第
3月26日、旧[[菱田小学校]]跡地にて、三派を中心とする「空港突入総決起集会」が開催され
===管制塔占拠===
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午後1時5分、地下の赤ヘル部隊15人がマンホールから空港内道路に這い出した。直後、数人の警官が発見し「(空港構内から)出ろ!出ろ!」と拳銃を向ける。行動隊と警官が対峙する中、警官の後方では、第9ゲート部隊の空港突入に対処すべく機動隊の部隊が走り抜けていった。行動隊は意を決し、拳銃を向けた警官を突破し、追跡を振り切って管理棟敷地内に進入した。
直前、第9ゲート部隊のトラックによる火炎攻撃によって、管制塔玄関前は混乱していた。その隙をつき行動隊は管制塔への突入に成功する。行動隊5人が1Fで警官、機動隊を阻止する中、10人がエレベーターを乗り継ぎ階段を駆け上り14Fにたどり着いた。15Fへは鉄の扉で阻まれるが、6人が14Fのベランダから16Fの管制室に至った。こうして管制塔占拠は成功し、行動隊は、管制塔内のあらゆる通信機器を破壊した。管制官たちは、管制塔の屋上に避難したが、行動隊は「人質を取らない。民間人は空港関連に従事する者でも危害を加えない」という規律が課せられていた
行動隊の管制塔突入により警備側の指揮系統が混乱する中、迂回路を巡って第8ゲートにたどり着いたトラック先頭の300人の部隊も「管制塔占拠に合流せよ!」と空港の奥深くまで進撃。空港の各所で火炎瓶が飛び交い、態勢を整えた機動隊はピストルの乱射をももって応戦する騒乱状態となった。管理棟内にあった警備本部は算を乱して避難し、警察・機動隊の指揮系統が一時乱れた。
空港に突入した大部隊の多くは撤収に成功する。行動隊はまず管制塔1F組が機動隊に「リンチ
また、同時刻頃、三里塚第一公園では、
==余波==
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===裁判闘争===
管制塔を占拠した
また、1995年に確定した空港公団(当時)による損害賠償請求の執行が、時効直前の2005年に給与差し押さえなどの形で開始される。四千三百八十四万円に利息五千九百十六万円の計一億三百万円という請求額だった。元被告たちは、ふたたび結集し、支援者たちと7月から「一億円カンパ運動」を開始。インターネットを主な媒体にしてかつての活動家世代を中心に、11月までにのべ二千人から一億三百万円のカンパを集めきることに成功して、11月11日に[[法務省]]で完済した(元被告たちは、このカンパ運動を「一億円叩きつけ行動」と称している)。
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=== 管制塔占拠部隊 ===
*[[太田敏之]] 当時24歳。岡山大生。プロ青同。14Fベランダのパラボラアンテナから16F管制室への突入路を開拓。
*[[小泉恵司]] 当時23歳。山形大学生。第
*[[児島純二]] 当時21歳、千葉郵便労働者。第
*[[高倉克也]] 当時21歳、早稲田大学中退。第
*[[津田光太郎]] 当時24歳、龍谷大生。プロ青同。巨漢。1Fで警官の追撃を阻止する際、凄まじい形相で[[しこ]]を踏んで立ちふさがったという。
*[[中川憲一]] 当時31歳、国鉄下請労働者。プロ青同。最年長者で、御意見番として部隊を補佐。破壊中の管制室で公団から「破壊しないでくれ」と懇願する電話がかかってくるが、「ただいま占拠中!」と電話をきる。
*[[中路秀夫]] 当時23歳、金属労働者。第
*[[原勲]] 当時23歳、自動車整備工。プロ青同。管制塔1Fで警官の追撃を阻止。「ひょうきんもの」で周囲を爆笑させていたが、獄中で拘禁症に苦しみ、治療を受けていた東大病院から飛び降り自殺を遂げた。享年28。
*[[平田誠剛]] 当時22歳、立命館大生。第
*[[前田道彦]] 当時25歳、第
*[[水野隆将]] 当時22歳、埼玉郵便労働者。地下道では困難な偵察を行った。共産同戦旗派。美男。松本伊代ファン。当時70歳を過ぎた父親は、連行される水野をニュース映像で観て、息子が活動家だったと知る。当初は反発した父親は次第に理解を示すようになり、晩年は「管制塔被告団家族会」の会長も務め、裁判の意見陳述では「息子を誇りに思っている」と語った。
*[[山下和生]] 当時20歳。共産同戦旗派。地下道では困難な偵察を行った。早見優、石川秀美ファン。
=== 他 ===
*[[佐藤一郎]] 戦旗派。行動隊に指示したとして逮捕。指名手配となったことを床屋で髪を切っているさなかに知った。床屋もそれに気づいたが「髪をこうすれば誰も気付きませんよ」とハサミをすすめたという。
*[[新山幸男]] 当時24歳、山形大生の第四インター。第9ゲート突撃部隊。管制塔直下で火だるまとなり、2ヵ月後に死亡。
*[[和多田粂夫]] 当時37歳。第
== 参考文献 ==
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