「マックス・インメルマン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Hartmann (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
4行目:
:[[インメルマンターン]]とは、[[航空機]]の[[マニューバ]]の一つ。[[自機]]の進行方向と反対方向へ通り過ぎた[[敵機]]を追跡する際に用いられる。180度[[ループ]]、180度[[ロール]]の順に行うことで縦方向に[[Uターン]]する空戦機動である。
 
[[偵察機]]パイロットから、[[1915年]]に[[戦闘機]]パイロットになり、フォッカー単葉機で北フランス戦線で活躍した。パイロットとしてはじめてドイツ最高勲章[[勲章|プール・ル・メリット勲章]]を授けられた。
 
[[1916年]]6月18日戦死したが、味方の対空砲火にあたったという説や、自分の機銃のプロペラ同調機構が故障してプロペラを壊したという説がある。イギリス軍は G.R. マックッビン とJ. H. Waller の乗ったF.E.2b が撃墜したとしている。[[マックス・インメルマン]]の撃墜数は15機から17機といわれている。
彼の名は、第二次世界大戦後も西伝統ある航空団の一つとしてドイツ空軍第51偵察航空団「インメルマン」(AG51'''A'''ufklärungs'''g'''eschwader '''51''' "Immelmann") 彼の名声を受け継いでいる
 
[[category:ドイツのパイロット|いんめるまん まっくす]]