「観音埼灯台」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ガウス (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
こまくさ (会話 | 投稿記録)
テンプレ追加
1行目:
{{灯台
[[Image:Kannon05.jpg|thumb|300px|観音埼灯台]]
|名称=観音埼灯台
'''観音埼灯台'''(かんのんざきとうだい)は、。[[神奈川県]][[横須賀市]]に属する[[三浦半島]]の[[観音崎 (神奈川県)|観音崎]]最東端に立つ、白色八角形の中型[[灯台]]で、[[日本初の一覧|日本初]]の洋式灯台、この灯台の着工日を記念して[[11月1日]]が[[灯台記念日]]となっている。初代の設計は[[レオンス・ヴェルニー]]等が担当したが、[[地震]]により2度再建され、現在の灯台は3代目にあたる。また、[[日本の灯台50選]]にも選ばれている。周辺は、県立の観音崎公園として、自然が保護されていて、[[東京湾]]、[[浦賀水道]]を一望の下にすることも出来る。
|画像=[[Image:Kannon05.jpg|thumb|300px|観音埼灯台]]
*|航路標識番号 =2030 [F6360]
*位置 (|座標=北緯 35度15分22秒<br />東経 139度44分43秒
*|所在地=神奈川県横須賀市鴨居 4-1187)1187
*|塗色・構造=白色 八角塔形 コンクリート製)
*|レンズ=第4等[[フレネルレンズ|フレネル]]式
*|灯質 (=群閃白光 毎15秒に2閃光
*|実効光度 (77=77,000カンデラ)
*|光達距離 (19=19海里35km>)35km)
|明弧=152度~17度
|塔高=19
*|灯火標高 (56m)=56
*|初点灯 (1869=1869年(明治2)2月11日
|管轄=
}}
'''観音埼灯台'''(かんのんざきとうだい)は、[[神奈川県]][[横須賀市]]、[[三浦半島]]東端の[[観音崎 (神奈川県)|観音崎]]に立つ[[灯台]]。白色八角形の中型灯台で、[[日本の灯台50選]]に選ばれている。
 
'''観音埼灯台'''(かんのんざきとうだい)は、。[[神奈川県東京湾]][[横須水道]]に属を照らし、東京湾[[海上交通センター]]とあわせ海上交通が輻輳する[[半島賀水道航路]]の[[観音崎 (神奈川県)|観音崎]]最東端安全立つ、白色八角形の中型[[灯台]]で、寄与している。また[[日本初の一覧|日本初]]の洋式灯台であり、この灯台の着工日を記念して[[11月1日]]が[[灯台記念日]]となっているに指定された。初代の設計は[[レオンス・ヴェルニー]]等が担当したが、大正時代の[[地震]]により2度再建され、現在の灯台は3代目にあたる。また、[[日本の灯台50選]]にも選ばれている。周辺は県立観音崎公園となっおり、自然環境が保護されていて、[[東京湾]]、[[浦賀水道]]を一望の下にすることも出来る。
 
== 歴史 ==
*それまで浦賀水道を照らしていた西[[浦賀]]の灯明台に代わり、[[1869年]]に点灯した。[[1866年]]([[慶応]]2)[[アメリカ]]、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[オランダ]]と結んだ「改税条約」(別名「[[江戸条約]])によって建設することを約束した8ヶ所([[観音埼灯台|観音埼]]、[[野島埼灯台|野島埼]]、[[樫野埼#江戸条約の灯台|樫野埼]]、[[神子元島条約灯台|神子元島]]、[[剱埼灯台|剱埼]]、伊王島、[[佐多岬]]、[[潮岬灯台|潮岬]])の灯台(これらを条約灯台とも呼ぶ)の1つで、最も早く完成・点灯した。
 
===; 初代 ===
*[[1869年]](明治2)[[2月11日]]<旧暦: 建設当初はレンガ造りの四角い洋館建ては1月1日>に完成・初点灯。設計は[[レオンス・ヴェルニー]]フランス人技師が担当し、建設当初は、レンガ造りの四角い洋館建てで、 た。屋上に灯塔を設けたフランス風白色八角形のレンガ造灯台で、地上から灯火までの高さは12.12mの高さで、フランス製の第3等[[フレネルレンズ|フレネル]]式レンズ]]、3重心灯器を使用し、3重心灯器で実効光度1,750カンデラ750cd、光達距離14海里(約26km)だった。
*[[1868年]]([[明治]]元)11月1日 着工。この日を記念して[[11月1日]]が[[灯台記念日]]となっている。
*[[1868年]]([[明治]]元)[[11月1日]] 着工。
*[[1869年]](明治2)[[2月11日]]<旧暦では1月1日>に完成・初点灯。設計は[[レオンス・ヴェルニー]]等のフランス人技師が担当し、建設当初は、レンガ造りの四角い洋館建てで、 屋上に灯塔を設けたフランス風白色八角形のレンガ造灯台。地上から灯火までが12.12mの高さで、フランス製の第3等[[フレネルレンズ|フレネル]]式レンズを使用し、3重心灯器で1,750カンデラ、光達距離14海里(約26km)だった。
*[[1869年]](明治2)[[2月11日]](旧暦1月1日) 完成・初点灯。
*[[1922年]]([[大正]]11)4月26日 地震のため大きな亀裂が発生(崩壊したとする資料もある)。取り壊し。
 
===; 2代 ===
*[[1923年]](大正12)[[3月15日]]、: 地震で被災した初代に代わりコンクリート造で再建されたものだが、わずか半年足らずで崩壊した
*[[1923年]](大正12)[[3月15日]] 再建。
*同年[[9月1日]] [[関東]]により崩壊(関東大震災)
 
===; 3代 ===
*[[1925年]](大正14)[[6月1日]]: 関東地震の後にコンクリート造で再建された、現在まで使用されている建物である
*[[1925年]](大正14)[[6月1日]] 再建。
*[[1989年]](平成元)5月、灯台が 遠隔監視に切り換えられたため無人化される
*[[1998年]](平成10)11月1日 [[日本の灯台50選]]に指定。
 
== 概要 ==
現在使用されている3代目の灯台について概要を示す。
*航路標識番号 2030 [F6360]
*位置 (北緯 35度15分22秒 東経 139度44分43秒)
*塗色・構造 (白色 八角塔形 コンクリート製)
*レンズ (第4等[[フレネルレンズ|フレネル]]式)
*灯質 (群閃白光 毎15秒に2閃光)
*実効光度 (77,000カンデラ)
*光達距離 (19海里<約35km>)
*明弧 (152度から17度まで)
*高さ<地表~塔頂> (19m)
*灯火標高 (56m)
*初点灯 (1869年(明治2)2月11日)
*所在地 (神奈川県横須賀市鴨居 4-1187)
 
== 一般公開 ==
内部の見学が可能な[[参観灯台]]である(参観料:大人150円、小人20円)。灯台からは[[浦賀水道]]を航行する船舶や対岸の[[房総半島]]が一望できる。
 
=== 灯台資料展示室 ===
灯台資料展示室が併設されていており、初代の灯台を造ったフランス人[[レオンス・ヴェルニー]]の胸像や灯台レンズ、灯台用ランプなどの貴重な資料展示されている。
 
==「喜びも悲しみも幾歳月」==
48 ⟶ 54行目:
 
== 交通 ==
*[[京急線]][[浦賀駅]]・[[馬堀海岸駅]]より[[湘南京急バス堀内営業所#観音崎線|湘南京急バス観音崎線]]利用、「観音崎下車徒歩20分
 
== 関連項目 ==