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{{unicode}}{{漢字}}
'''部首'''(ぶしゅ)とは、[[漢字]]を構成する字形要素の一つである[[偏旁]]を、漢字を分類する際の基準として定めたものである。すべての漢字は必ず、いずれかの部首に所属する。[[後漢]]の[[許慎]]の著で紀元[[100年]]/[[永元 (漢)|永元]]12に成立した『[[説文解字]](せつもんかいじ)』以来、[[漢和辞典|字書]]では見出しとなる漢字を部首ごとにまとめて配列するのが一般的である。
 
部首の本義は、漢字を部によって分類したときの、その部の最初の文字という意味である。部によって分類すると、その最初にはその部の部分だけによって成り、何の変形もしていない字がその部の代表として置かれる。この字を部首と呼ぶのだが、それを元に行った分類法自体も「部首」と呼ぶようになったのであろう。
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初めて漢字を部首によって分類したのは『説文解字』である。『説文解字』は[[篆書体]](小篆)の漢字を540の部首に分けて体系付け、その成り立ちを「[[象形]]・[[指事]]・[[会意]]・[[形声]]・[[転注]]・[[仮借]]」の6種([[六書]];りくしょ)の原理に従って解説したものである。
 
『説文解字』の部首分類は、漢字の意味をその構成部分の持つ意味によって体系化することを目的としたものである。その上、ある漢字を元にして派生した漢字が1字でもあれば元になる漢字を必ず部首として立てるという方針で編纂されているため、「殺」や「放」などの形声文字も部首として立てられている。部首の数も非常に多く、「一」から「十」までの数字、「甲」から「癸」までの十干、「子」から「亥」までの[[十二支]]がすべて部首になっている。部首の配列法は意味の関連と字形の関連によっているが、数の冒頭である「一」で始まり、十二支の末尾である「亥」で終わるもので、陰陽五行の理念の影響を強く受けている。そのため、部首分類を利用して目当ての字を探し出すことは極めて困難であった。
 
以後、『説文解字』に倣って、部首によって漢字を分類した書物(これを字書と呼ぶ)がいくつか作られた。『[[玉篇]]』(542部首)、『[[類篇]]』(540部首)などの字書は、親字が[[楷書体]]となり、字解の内容も漢字の成り立ちでなく字義を中心としたものに変わっている。しかし、取り上げられている部首は『類篇』では『説文解字』と全く同じであり、『玉篇』でも違いはわずかである。そのため、検索については『説文解字』と同じ欠点を持っていた。
 
中国では、長い間、検索の利便性の点から、漢字を部首別に並べた字書の配列よりも、漢字を[[韻目]]順に並べた[[韻書]]の配列の方が多く利用されてきた。部首分類の祖である『説文解字』も、[[南]]の時代に部首を韻目順に並べ替えた『説文解字五音韻譜』が出るとたいへん広く行われ、一時は『説文解字』というとこの本のことを指すほどであった。『[[佩文韻府]]』(はいぶんいんぷ)や『[[隷辨]]』(れいべん)などが韻目順であるのは、検索にもっとも便利であるからである。
 
その後、[[遼]]の僧侶[[行均]]の『[[龍龕手鑑]]』(りゅうがんしゅかん)(242部首)、[[金 (王朝)|金]]の[[韓孝彦]]・[[韓道昭]]の『[[五音篇海]]』(444部首)など、部首の数をしぼって索引の便を図った字書が出た。特に『五音篇海』は同一部首に属する漢字の画数順配列を(部分的にではあるが)採用している。しかし、これらの字書ではまだ部首自体の配列順は韻目順であって[[画数]]順採られておらず、[[五音]][[三十六字母]]の順、すわち[[子音]]順にするといた方式が採られていた。
 
== 画数順の214部首 ==