「粛川・順川の戦い」の版間の差分

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第2次降下隊(第2大隊、第3大隊。人員約4000人。装備品、補給品約600t)は、1420粛川DZに降下。周辺の緊要地点を速やかに確保し、南北の交通を遮断した。ここに奇襲は成功し、空挺堡は完成したのである。
 
しかし、第1大隊が川北方を偵察してみると北鮮軍主力の活動の痕跡は偵知できず、既に後退を完了しており、接触できたのは後衛の1個連隊のみであった。さらに、北鮮首脳部は10月12日に列車で移動したことが、平壌市民から提供された情報資料により明らかにされ、捕虜数千人も同じく北へ移送されていたのである。
 
== 地上連携部隊 ==