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'''CHAGE&ASKA'''(チャゲ&飛鳥)は、[[CHAGE]](本名柴田秀之)と[[飛鳥涼]](ASKA)(本名宮崎重明)の二人の[[シンガーソングライター]]による[[J-POP]]のユニット。通称'''チャゲアス'''、略称'''C&A'''、中国語表記'''恰克與飛鳥'''。
 
==略歴==
*高校時代からの友人であった二人が[[第一経済大学]]在学中に結成。[[1979年]][[8月25日]]に[[ヤマハ]][[ポピュラーソングコンテスト]]入賞曲の「ひとり咲き」でワーナー・パイオニア(現[[ワーナーミュージック・ジャパン]])よりデビュー。
*[[1980年]]、シングル『万里の河』が大ヒットする。学園祭コンサートを行う。
*デビュー当初は「[[フォーク]][[演歌]]」とも呼ばれるような作風であったが、徐々に鍵盤やコンピューターを使った音楽造りに変化していく。
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*[[1985年]]、[[レコードレーベル|レコード会社]]をキャニオンレコード(現[[ポニーキャニオン]])に移籍。移籍後は、「モーニングムーン」「恋人はワイン色」などのヒット作をリリースし、初のベスト盤『Standing Ovation』発表。また[[1984年]]には、CHAGEが[[石川優子]]との[[デュエット]]で「ふたりの愛ランド」をリリースし、大ヒットする。[[1987年]]にはASKAが[[ソロ]]シングルを出すなど、ソロ活動も活発化させていく。
*[[1986年]]、クリスマス企画として[[レコード|アナログ盤]]のみで『Snow Mail』を限定発売。ファンの間では今もなお幻のプレミアムアルバムなっている。
*[[1987年]]、ベストアルバム『SUPER BEST』リリース。3年間[[オリコン]]チャートにランクインするという脅威のロングセラー。12月には「[[世界紅白]]」に出場するため渡英。
*[[1989年]]、デビュー10周年を以って半年間活動を休止。ASKAは渡英し、CHAGEは[[バンド (音楽)|バンド]]"[[MULTI MAX]]"を結成。この時、解散をささやかれたが、彼等が大活躍するのはむしろこの後である。
*[[1991年]]、[[フジテレビ]]系ドラマ[[101回目のプロポーズ]]の主題歌となった「[[SAY YES]]」が200万枚を越える大ヒットを記録。当時の記録を次々と塗り替え新記録を樹立していった。そして10月にリリースされたアルバムTREEは発売2週目で[[ミリオンセラー]]達成、当時史上最高のセールスを記録。「僕はこの瞳で嘘をつく」を[[シングル]]カット]]しオリコン初登場1位となる。ASKAはこの年ソロでも「はじまりはいつも雨」でミリオンセラーを達成している。
*[[1992年]]、前年から続く<SAY YES>ツアーがチケット即日完売。多くのファンのチケットが入手できないという声にこたえコンサートツアー<BIG TREE>スタート。チケットはあっという間に完売し両ツアーで45万人総動員した。第6回[[日本ゴールドディスク大賞]]7部門中6部門独占受賞する。アルバム『SUPER BESTⅡBEST II』をリリースし日本国内だけでも300万枚を超える売り上げを記録。アジア諸国でもリリースされ大ヒットする。シングル「if」、アルバム『GUYS』を発表し、ともに好セールスを記録。年末にはコンサートムービー「GUYS」を上映し、コンサートムービーは当たらないという映画界の常識までも覆した音楽史に残る1年となった。
*[[1993年]]、[[フジテレビ]]系ドラマ『[[振り返れば奴がいる]]』の主題歌「[[YAH YAH YAH]]」が[[社会現象]]となるほどの大ヒットを記録し、日本を代表する人気デュオとなる。第7回日本ゴールドディスク大賞受賞し[[モナコ音楽祭]]にアジア代表として出場する。[[マイケル・ジャクソン]]らと肩をならべ[[モナコ]][[王子]]をも踊らすパフォーマンスで[[The World Music Awards]]'93を受賞した。
*[[1994年]]、デビュー15周年のこの年も前年までと同様に多くの功績を残す。第8回日本ゴールドディスク グランプリシングル賞など受賞し、モナコ音楽祭に3年連続となる招待を受け[[14カラット・ソウル]]と[[アカペラ]]ソングを披露、受賞も3年連続となった。初のアジアツアーを敢行し、日本のツアーの延長として今まで誰も果たせなかった大規模なステージセットでの公演となり[[香港]]・[[シンガポール]]・[[台湾]]で合計6万人を動員、現地の各種メディアにも大きく取り上げられた。[[ハリウッド]]映画「[[ストリートファイター|Street Fighter]]」のEDテーマ曲に全英語詞「Something There」が起用され話題となる。シングル『めぐり逢い』がヒット、ロングセラー。予約限定4枚組『SUPER BEST BOX』リリース、4枚目には「Snow Mail Special」と称した幻のアナログアルバムに[[ボーナストラック]]を加えたスペシャル盤となった。
*[[1995年]]、前年発表の「[[On Your Mark]]」のプロモーション・フィルムとして、アニメ『[[On Your Mark|On Your Mark ジブリ実験劇場]]』([[宮崎駿]]監督、[[スタジオジブリ]]製作)が製作され、コンサート会場および劇場で公開される(劇場公開は『[[耳をすませば]]』と同時上映)。ハリウッド映画「[[ジャッジドレッド|Judge Dredd]]」のED曲「TIME」をASKAが担当。二度目のアジアツアーを行い、前年よりも現地での知名度も上がり大歓声ののちに終演した。
*[[1996年]]、アジア出身者としては初めて『[[MTV]] [[アンプラグド|UNPLUGGED]] LIVE』へ出演。その後、[[チャカ・カーン]]、[[リチャード・マークス]]、[[マイケル・ハッチェンス]]ら海外の実力派シンガーによる英語[[カバー|カヴァー]]アルバム『ONE VOICE』リリース。本人らがヴォーカルをとった「river」「On Your Mark」の英語ヴァージョンも収録されており、欧米で好セールスを記録し欧米デビューを飾った。日本盤にはASKAと[[リサ・スタンスフィールド]]のデュエットによる書き下ろし楽曲など3曲がボーナストラックとして追加収録されている。
*[[1998年]]、CHAGEもMULTI MAXとは別にソロ活動を展開しはじめ、初のコンサートを[[上海]]体育館で行う。ASKAは台湾での「MTV Music Summit'98」に出演する。
*[[1999年]]、[[東芝EMI]]に移籍。デビュー20周年のこの年、多くの初を経験する。[[両A面]]シングル『この愛のために/VISION』でCHAGE&ASKA始動。MTVの影響を受けた初の小空間での[[アコースティック]][[ライブ]]を行う。初のセルフプロデュースアルバム『NO DOUBT』はオリコン初登場1位。初のコンプリートベスト『VERY BEST ROLL OVER 20TH』リリース。そして初の[[DVD]]作品『LIVE BEST 1995-1999』も世紀末にリリースされ、初CHAGE監修洋楽[[コンピレーション]]アルバムの発売。さらには90年代の締めくくりとして故郷[[福岡]]の地で初の[[ドーム]]公演にして初のカウントダウンライブを行う。ファンとともに[[ミレニアム]]イヤーを迎えた。
*[[2000年]]、[[ヤマハ・ミュージック・コミュニケーションズ]]に移籍。
*[[2001年]]、[[ユニバーサルミュージック]]に移籍。
*近年は、お互いのソロ活動の比率が高まり、以前のように毎年オリジナルアルバムをリリースすることはなくなったが、[[2000年]]には日本語公演解禁に伴い大規模な[[大韓民国|韓国]]公演を敢行し[[2002年]]には初のセルフカヴァーアルバム『STAMP』リリース、[[2003年]]には[[2002年]]のイベントで突如披露された[[STARDUST REVUEスターダスト・レヴュー]]との[[コラボ|コラボレーション]]楽曲デェラ・シエラ・ムをリリースするなど数々の実績・活動を残している。
*[[2004年]]4月よりコンサートツアー「two-five」を敢行。デビュー25周年を迎えた8月、[[1995年]]に[[ニュースステーション]]のOPテーマとして起用されていたがリリースされることのなかった幻の楽曲「36度線」をリリース。8月28日には[[1981年]]に行った初の全国ツアーを再現した「チャゲ&飛鳥 熱風コンサート」を東京・[[お台場]]野外特設会場にて敢行。12月にシングル「僕はMusic」をリリース。
*[[2005年]]、それぞれ久々のソロ活動を行う予定。
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*闘魂(チャレンジ) (1982/10/18)
*時計まわりの青春 (1983/09/22)
*PRIDE I ~10年の複雑~ (1989/07/20)
*PRIDE II ~10年の複雑~ (1989/10/10)
*CHAGE&ASKA DOCUMENT ASIAN TOURの真実-アジアの肌を抱きしめた男たち (1996/07/27)
*Mr.ASIA CHAGE&ASKAの謎 (1996/10/ )
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[[Category:日本の歌手グループ|ちやけあんとあすか]]