「サクソ・グラマティクス」の版間の差分

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こんにち『[[デンマーク人の事績]]』(''Gesta Danorum'')の名で知られる全16巻のデンマーク史が彼によって編纂されたと考えられており、この著書の存在が彼を実在の人物であるとする主な根拠となっている。サクソは[[大司教]][[アブサロン]]のもとで働いていたと目されており、彼を支持していた事が<!--『デンマーク人の事績』の記述で-->明らかになっているが、教会組織の中で占めた地位は不明である。一介の聖職者に過ぎなかったかもしれない。</br>
アブサロンの命令書で、サクソという名の聖職者が銀貨2枚半の負債<!--延滞金?-->を免除され、現在の西シェラン州ソロー(''Sorø'')の修道院から借りていた2冊の書物を返却するように命じられている。これが後年見つかったデンマークの公の記録に残る、同年代に生きた10余人の「サクソス(''Saxos'')」あるいは「サクソ(''Saxo'')」のうちサクソ・グラマティクスに結びつくであろう唯一のものであるが、この命令書が本人に宛てて下されたと証明する証拠は存在しない。</br>
また『デンマーク人の事績』でサクソ自身が書くところによると、彼の祖父と父の両者が兵士としてデンマーク王[[ヴァルデマー1世 (デンマーク王)|ヴァルデマー1世]]に仕えていた。サクソも同様ながら、より宗教的な職務で[[ヴァルデマー2世 (デンマーク王)|ヴァルデマー2世]]仕えていたようである。 以上が数少ないサクソ・グラマティクスに関する具体的な記録である。</br>
後年の研究により[[シェラン島]]出身であると断定されているが、 『デンマーク人の事績』の中で洗練された[[ラテン語]]を用いていることや著書から[[古代ローマ]]に関する知識の深さが伺われるため、彼が教育を受けたのはデンマークではなく[[フランス王国|フランス]]の大きな[[神学校]]ではないかとされている。</br>