「オリヴィエ・ブザンスノ」の版間の差分

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[[1997年]]から[[ヌイイ・シュル・セーヌ]] [[w:Neuilly-sur-Seine|Neuilly-sur-Seine]]地区の郵便局員(郵便配達員)として勤務している。また、フランスの労働組合[[w:Sud-PTT|Sud-PTT]]のメンバーにもなる。なお、[[1999年]]から[[2000年]]まで[[欧州議会]]議員となった[[アラン・クリヴィヌ]]([[アラン・クリヴィンヌ]])[[w:Alain Krivine|Alain Krivine]]の秘書を務めるためとして郵便局を休職している。[[2001年]]と[[2002年]]には、[[ポルト・アレグレ]]で開催された[[世界社会フォーラム]]に参加した。
 
[[2002年]]大統領選挙にLCRから立候補した。ブザンスノは立候補当時、27歳で全候補者中、最年少でありフランス大統領選挙史上、最年少の候補者として注目された。120万票(4.25パーセント)を獲得した。18-24歳までの青年層の間では、ブザンスノ候補の得票率は、16人の大統領候補中、[[シラク]]の15.7%に次ぐ第2位の13.9%で、左翼諸政党の中では第一位であった
 
[[2007年]]大統領選挙に再度、立候補し「''Nos vies valent plus que leurs profits!'' 僕達の人生は彼らの収益よりも価値がある!」をスローガンに、反[[新自由主義]]、[[反グローバリズム]]を展開し、富の再分配、大企業のレイオフの禁止などを主張した。選挙戦では、その演説の巧みさから青年層を中心とした支持を得、150万票(4.08パーセント)を得票し12人の候補者中5位につけて大健闘した。第2回投票では、社会党の[[セゴレーヌ・ロワイヤル]]への投票を呼びかけている。