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鎮圧後の貞元は奉公衆であったことが幸いし、助命された。加えて、厳罰に処せられた形跡もなく3年後の文明15年([[1483年]])[[11月14日]]には[[矢部氏]]と共に堂々と[[犬追物]]に参加している。
 
[[長享]]元年([[1487年]])[[12月30日]]、[[京都]]蔭涼軒主・亀泉集証の働きかけにより正式に赦免された貞元は[[赤松氏]]支援の下、[[山名政実]]を擁立して再度、[[山名氏]]に対して反乱を起こした。しかし、戦局は貞元側に不利であったようで[[延徳]]元年([[1489年]])[[9月5日]]の[[徳丸河原合戦]]で敗北、同年11月には[[山名豊時]]の軍勢に追い攻め込まれ[[市場城|私部城]]において戦死した。
 
==関連項目==