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昭和23年に、教団による財務処理の不備(財務を正しくできる人間が不在であることや、急激な発展に対する組織整備の遅れ)のため、教団本部が家宅捜索を受けたという事実がありました。
 
この事件騒動自体は、単なる申告の記載漏れとして理解され、追徴金を納めることで一応の決着がつき、もちろん岡田茂吉教祖の逮捕などは行われておりません。しかし、世間に注目を受けていた当時の教団は、この事件を大きく揶揄されたのです。
 
当時のマスコミは、現代と違い、不当な報道に対する自浄機関も全く有しておらず、公平で客観的な報道を行っているとはいえない時代でした。そのため、この事件も非常に大げさに揶揄され、教団の資産は「20億から30億円」などという事実とは異なる記事が、大新聞であっても現在の三面記事、大衆週刊誌レベルの意識で、読者の興味を引く目的により報道されました。
 
そして、昭和25年にある事件によって教祖の逮捕が行われるわけですが、当時の報道機関は、あたかも昭和23年の脱税とする報道騒動と連動するかのようにその逮捕が行われたかのような報道を行ったのです。昭和25年当時の新聞がこぞって、「贈賄で脱税」などという見出しの報道を行ったのですが、実際には容疑に脱税の要素はなく、当時の新聞の誤報です。
 
この誤報のため、現代でも、「岡田茂吉は脱税と贈収賄で逮捕歴がある」と誤解されるのですが、昭和23年の脱税容疑騒動と昭和25年の逮捕とは無関係です。
 
昭和25年の逮捕というのは贈賄容疑です。したがって荒らし行為の「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」という記述は、容疑は贈賄ですから、「収賄」という記述まで考慮すると、'''一つの真実もない'''わけです。仮に贈賄と書き換えたとすると、その部分のみにおいては真実になりますが、それがうわさ話を楽しむ2chのような所でしたら構いませんが、百科事典として正確な記述を目指すWikipediaとしては、その記述表現では情報の正確さを欠きます。
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「いままで教団は、短期間に発展したため、ねたんだり、恨んだりしている人々も世間にはたくさんいるはずだ。けれども今日の判決で有罪と宣告されたので、そういう人々の思いが消えるから、かえって結構なことなんだ。それに有罪といっても、執行猶予なのだから、別にどうということはない」(東方の光下巻P289)
 
しかし、収賄側とされる教団外の人物らは納得がいかず、控訴を行い、その結果、教祖の自白には任意性が認められず証拠としての能力がないとし、収賄側は無罪となりました。このことにより、この贈収賄事件は間接、贈収賄の収賄側が無罪ということで、必然的に事件自体が存在していなかったことが証明され、教祖の無実が間接的に実証された結果となっているというのが事実この騒動の顛末です。
 
ちなみに、教祖の「自白」というのは、「私がやりました」と言ったのではなく、教祖の発言と、教祖以外の容疑者の発言が一致したので、共謀を行ったのだろうと検察は判断した、という程度のものでした