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==経歴==
幼名、松本次一郎。[[福岡県]][[筑紫郡]]豊平村金平(現在の[[福岡市]])の[[被差別部落]]に生まれる。実家は部落の中の素封家だった。[[1900年]]に住吉高等小学校を卒業後、私塾の[[粕屋学園]]や[[京都]]の旧制[[干城中学校]](現在は廃校)を経て上京し、旧制[[錦城中学校]](現在の[[錦城高等学校]])を[[中退]]。
 
[[1907年]]に[[大連]]へ渡り、大道[[易者]]や偽医者として生計を立てる。当時、松本が「大日本国一等軍医監」を名乗って偽医者を続けていたことにつき、[[部落解放同盟]]は『松本治一郎伝』の中で「行く先々で近代的医療から見放された人々から歓迎され」た<ref>[[部落解放同盟]]中央本部編『松本治一郎伝』p.24([[解放出版社]]、[[1987年]])ISBN 4759244034</ref>と記しているが、[[金静美]]は「もし、松本治一郎が、日本帝国主義者の中国侵略に批判的であったなら、『大日本国一等軍医監』と自称することはできなかっただろう」「松本は、日本侵略軍に所属する医者であるかのようにふるまい、中国民衆を『治療』し、金銭を得ていた。あやまった『医療』は、しばしば人命にかかわることがある。松本はなぜ、中国では、このような[[詐欺]]をおこない、日本ではおこなわなかったのだろうか」<ref>金靜美『水平運動研究史──民族差別批判』pp.451-452(現代企画室、1994年)ISBN 4773893125</ref>と松本の中の差別意識を批判している。