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'''逢坂
[[東海道]]・[[東山道]](のちの[[中山道]])の二つが、逢坂の関を越える。そのため、交通の要となる重要な関であった。その重要性は、[[平安時代]]中期以後(810年?)には、「三関」の一つとなったことからもみてとれる。残り二関は、[[美濃国|美濃]]の[[不破
▲その重要性は、[[平安時代]]中期以後(810年?)には、「三関」の一つとなったことからもみてとれる。残り二関は、[[美濃国|美濃]]の不破の関、[[伊勢国|伊勢]]の鈴鹿の関である。ちなみに、平安前期までは、逢坂の関ではなく、[[越前国|越前]]の愛発の関が、三関の一つであった。
[[滋賀県]][[大津市]]大谷町の[[国道1号]]線沿いに、逢坂山関址がある。ただし、この石碑は、昭和に入ってから建てられたもの。逢坂
[[百人一首]]でも二つの歌で詠まれている。
[[Category:関所|おうさかのせき]]
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