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→‎宇治橋の鳥居: 鳥居の再使用が明治以降であることを明記。
== 宇治橋の鳥居 ==
[[Image:Uji-bashi 03.JPG|thumb|180px|12月中旬の日の出]]
橋の両側の鳥居の高さは7.44mで、外側(外)の鳥居は[[豊受大神宮|外宮]]正殿の[[神明造|棟持柱]]の古材から、内側(内)は内宮正殿の棟持柱の古材から作られる。明治以降、これらの鳥居が建て替えられると外の鳥居は三重県[[桑名市]][[桑名宿]]の'''[[七里の渡し]]'''で、内の鳥居は[[鈴鹿峠]]の麓にある三重県[[亀山市]]関町[[関宿]]の'''関の東の追分'''で、それぞれ神宮遙拝用の鳥居に20年間使用される。<!--鳥居の再利用が明治以降の部分は『桑名市史』『関町史』による--><!--いつから鳥居が作られるようになったのか、いつから鳥居が再利用されるようになったのかの加筆が望まれます。-->
 
宇治橋は五十鈴川に対してほぼ直角に架けられており、西岸から東岸を見た場合は約30度南を向いている。宇治橋の東側には[[島路山]]があり、日の出は島路山からとなる。このため日の出が南よりからとなる[[冬至]]を中心とする約2か月の間は宇治橋の鳥居の間からの日の出となるが、永らく誰の気にも止められなかった。1980年代にこれに気付いた参拝客の情報により、神宮の広報誌の『'''瑞垣'''』(みずがき)に冬至前後は鳥居の間から日が昇ると紹介されてから有名となり、冬至前の数日から1月初旬の間は鳥居からの日の出を見る人で賑わうようになった。
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