削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
[[Image:Oomura masujiro statue.jpg|thumb|200px|靖国神社にある大村益次郎の像。]]
[[画像:佐久間象山・大村益次郎遭難の碑.jpg|thumb|180px|京都 大村益次郎遭難の碑]]
'''大村 益次郎'''('''おおむら ますじろう'''、 [[文政]]7年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]([[1824年]][[5月30日]]) - [[明治]]2年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]([[1869年]][[12月7日]]))は、[[医師]]・西洋学者・[[軍事学者|兵学者]]、[[江戸時代]]後期の[[幕末]]から明治初頭に活躍した陸軍指導者。明治2年7月8日付けで兵部省兵部大輔(後の陸軍次官)。このときの兵部卿(後の陸軍大臣)は[[嘉彰親王]]であり、名目上だけの存在であったことから、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。幼名は'''宗太郎'''、通称は'''蔵六'''、良庵(または亮庵)。[[諱]]は永敏。[[本姓]]は[[平氏]]を自称する。[[位階]]は贈従三位、後に従二位。[[家紋]]は六つ鉄線
 
== 略歴 ==