「マリア・アナ・デ・ブラガンサ」の版間の差分

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'''マリア・アナ・デ・ブラガンサ''' (Maria Ana de Bragança, [[1843年]][[8月21日]] - [[1884年]][[2月5日]])は、[[ザクセン王国|ザクセン]]王[[ゲオルク (ザクセン王)|ゲオルク]]の妃。[[ドイツ語]]名マリア・アンナ・フォン・ポルトゥガル(Maria Anna von Portugal)。
 
[[ポルトガル]]女王[[マリア2世 (ポルトガル女王)|マリア2世]]と[[王配]][[フェルナンド2世 (ポルトガル王)|フェルナンド2世]]の娘として、[[リスボン]]で生まれた。1859年5月11日、ベレン宮殿でザクセン王[[ヨハン (ザクセン王)|ヨハン]]の次男であるゲオルクと結婚。<!--彼は、マリア・アナの父フェルナンドと同じ、[[ヴェッティン家]](ヴェッティン家というだけで同族あつかいするなら、山のように同族がいる)から出た[[カトリック教会|カトリック教徒]]の傍流(カトリック教徒という傍流というのは関係があるのか?)出身であった。-->2人の間には8子が生まれた。
*マリー・ヨハンナ(1860年 - 1861年)
*エリーザベト(1862年 - 1863年)
*マティルデ・マリー・アウグスタ(1863年 - 1933年)
*[[フリードリヒ・アウグスト3世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト]](1865年 - 1932年)  ザクセン王
*[[マリア・ヨーゼファ・フォン・ザクセン|マリア・ヨーゼファ]](1867年 - 1944年)
*ヨハン・ゲオルク(1869年 - 1938年)
*マクシミリアン(1870年 - 1951年)
*アルブレヒト(1875年 - 1900年)
 
夫が次男であったため、王位が回ってくることはないと思われていたが、夫の兄[[アルブレヒト (ザクセン王)|アルブレヒト]]と王妃[[カロラ・ヴァーサ|カロラ]]の間に子供がなかったため、1902年にゲオルクが即位した。1904年に長子フリードリヒ・アウグストが王位についた。
 
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[[Category:ブラガンサ家]]
[[Category:ドイツの領邦の后妃]]