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'''ヤープ・デ・ホープ・ス
==経歴==
1948年[[アムステルダム]]に生まれた。デ・ホープ・ス
彼は[[民主66]](D66)の党員であったにもかかわらず、1982年に[[キリスト教民主同盟_(オランダ)|キリスト教民主同盟]](CDA)の党員となった。[[1986年]]の選挙で、彼は上院([[:en:Tweede Kamer|Tweede Kamer]])議員に選出された。彼は党の外交問題担当のスポークスマンとなった。[[1997年]]から[[2001年]]までの間、彼は上院におけるCDA議員団の責任者であった(当時CDAは野党であった)。この時の働きにより、彼は党首に選ばれた。
[[2002年]]選挙の候補者リストが決定されるとき、CDA党首としての彼の地位は不安定なものとなった。党議長ファン・レー([[:nl:Marnix van Rij|Marnix van Rij]])との権力闘争の後、デ・ホープ・ス
===外務大臣===
この選挙でCDAは勝利し、新政権の樹立に向けて指導的役割を引き受けた。新首相バルケネンデは、短命であった第1次内閣の外相として、デ・ホープ・ス
[[2003年]]の、デ・ホープ・ス
2003年、オランダ外相として、ヤープ・デ・ホープ・ス
===NATO事務総長===
[[Image:20061027_p102706kh-0104-515h.jpg|thumb|220px|ヤープ・デ・ホープ・ス
彼は[[2004年]][[1月5日]]、[[ジョージ・ロバートソン]](任:1999年-2003年)の後任として、第11代NATO事務総長となった。決定の発表は[[2003年]][[9月22日]]にされた<ref>{{cite web|url=http://www.nato.int/docu/update/2004/01-january/e0105a.htm|title=New Secretary General takes up office|publisher=NATO|date=[[2004年]][[1月7日]]|accessdate=}}</ref>。事務総長としてデ・ホープ・ス
==註==
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{{先代次代|オランダ外相|[[2002年]] - [[2003年]]|
{{先代次代|[[北大西洋条約機構#歴代事務総長|NATO事務総長]]|[[2004年]] - |[[ジョージ・ロバートソン]]|(現職)}}
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[[bg:Яп де Хоп Схефер]]
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