「因果関係 (法学)」の版間の差分

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Akdamar (会話 | 投稿記録)
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#主観説(主観的相当因果関係説)
#:主観説とは行為者が行為当時認識・予見していた事情及び認識・予見しえた事情を基礎として判断する見解のことである。例えばAは、一見健康に見えるBが実は重度の心臓病であることを知らずに、背後からタックルをして強いショックを与え、死亡させたとする。このときAはBの心臓病について知らなかったのだから、たとえ一般人なら知りえたとしても、そのことは判断材料から除外される。よって、健康な人に後ろからぶつかって死亡させてしまうということは通常考えられず、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がない」ということになる。
 
#客観説(客観的相当因果関係説)
#:客観説とは、行為当時に客観的に存在したすべての事情を基礎として判断する見解のことである。行為後に生じた事情についても、それが行為時に予見可能であった限りすべて考慮するとされる。上記の例でいえば、Aが知っていたかどうかは問題でなく、とにかく当時Bが重度の心臓病であったことは事実であるから、これは判断材料に含まれる。よって、重度の心臓病患者に背後から強い衝撃を与えれば死んでしまうかも知れないということは通常予想の範囲内であり、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がある」ということになる。
 
#折衷説(折衷的相当因果関係説)(通説)
#:折衷説とは、行為当時一般人に認識・予見可能であった事情と、行為者が特に認識・予見していた事情を基礎として判断する見解のことである。行為後の事情については、行為の際に、一般人の予測しえた事情と、行為者の予測していた事情を、判断の基礎事情とするとされる。上記の例でいえば、一般人にはBの病気を知ることはできず、Aも知らなかったのであるから、これを判断材料に含めることはできない。つまり、Bが重度の心臓病を患っていたということは無視される。よって、健康な人に後ろからぶつかって死亡させてしまうということは通常考えられず、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がない」ということになる。