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中国古代、[[周公]]の時代に始まったとも[[秦]]の[[昭王]]の時代に始まったともいわれる。また、書聖と称される[[王羲之]]も'''曲水の宴'''を楽しんだとしたといわれている。曲水の流れは早く盃の流れてくる時間も短い。優雅な遊びというより大変な競技である。
[[日本]]にもこの[[行事]]が早い時期に宮中に伝わり、[[日本書紀]]では[[顕宗]]元年3月には宮廷の儀式として行われたという
本来'''曲水の宴'''を主催できるのは、中国の[[天子]]又はこれに準ずる[[大王]]だけであった{{要出典}}。[[東北]]でも[[多賀城]]や[[平泉]]の[[毛越寺]]に[[奥州安倍氏]]や[[奥州藤原氏]]が催した[[曲水の宴]]の跡があり安倍氏や藤原氏はその資格があると自負していたと考えられる。
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