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== 養魚の特徴 ==
現在の魚介類の養殖は、単一の種を対象にし、その種に適した[[飼料]]を与え、水温等を微細に管理した環境で育てる'''完全養殖'''が主流であり、人間の手間は必要不可欠である。これに対し「養魚」は、①人間の生活と生業、②飼育対象となる種の特性や生態、③自然環境([[生態系]])とが見事に結びつき、古代人の自然との密接な営みと鋭い観察眼がもたらした、奇跡的ともいえる方法である。また、その対象は淡水種が主である。
 
 
== 養魚の起源 ==
「養魚」の歴史は、[[殷]](紀元前1600年頃 - 紀元前1046年)の遺跡から発掘された[[甲骨文字]]の記録から、[[紀元前]]1150年前(約3000年)にまでさかのぼり、当初は[[養蚕]]と兼業し、不要となった[[蚕]]の[[蛹]](さなぎ)を餌とする[[コイ]]の「[[単養]]」が行われていたとみられる。そのような養殖技術を[[産業]]として導入したのは、[[春秋戦国時代]]の[[越]]の王・[[勾践]]に仕えた政治家・[[范蠡]](はんれい)ともいわれ、彼は魚の養殖に関する世界最古の著書である『[[養魚経]]』を著している。
 
 
== 「養魚」の改良 ==
[[唐]]の時代になると、その皇帝・[[李淵]]は、彼の姓「李(Li)」と「鯉(Li)」とが同音であるため、「鯉に対する冒涜は皇帝に対する冒涜である」とし、コイの養殖・捕獲・売買・食を一切禁止した。コイを捕らえた者は三十杖の罪、食した者は死刑という厳しい禁令であった。
 
この禁令により、民衆はコイに代わる食用魚として、[[アオウオ]]・[[ソウギョ]]・[[コクレン]]・[[ハクレン]](いずれも中国原産のコイ科の野生種)に注目。その特性を見定め、コイの「単養」で培ったノウハウを応用・改良して、これら四種の淡水魚を、手間をかけずに一環境で同時に飼育する合理的な方法を確立した。この改良された「養魚」はその後各地に広まり、コイに代わる食用魚としてあらゆる層に[[受容]]されるようになった(これらの淡水魚が、「四種類の一般的な魚」という意味で「[[四大家魚]]」と称されるようになった所以でもある)。