「曲水の宴」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
18行目:
東北でも[[多賀城]]や[[平泉]]の[[毛越寺]]に曲水の宴の跡があるとされるが、平安時代の造庭法秘伝書『[[作庭記]]』は、池・中島・滝・泉・前栽などに加えて遣水についても詳しく述べており、庭園に曲水の宴を催すことのできる曲溝があるのは不自然ではない。また、曲水の宴を催すことのできる遺跡が確認されたことは、必ずしも曲水の宴が催されたことを意味しない。
 
また、福岡県久留米市でも、8世紀以前の曲水の宴の跡が発掘されており、筑紫の君[[磐井]]が天皇の命に従わず礼無きことが多かったと非難された理由の一つであるとする見解もある。更には[[九州王朝]]が存在した証拠であるとする主張もあるが、遺跡は必ずしも曲水の宴が催された証拠とは言えない。筑紫の君磐井云々は一つの推論を超えるものではなく、ましてや九州王朝に纏わる主張は、学術的には全く問題にされておらず、[[俗説]]にすぎない。
 
==各地の曲水の宴==