「ロンドンスモッグ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m 手直し
8行目:
この濃いスモッグは、前方が見えず運転ができないほどのものだった。特にロンドン東部の工業地帯・港湾地帯では自分の足元も見えないほどの濃さだった。建物内にまでスモッグが侵入し、コンサート会場や映画館では「舞台やスクリーンが見えない」との理由で上演や上映が中止された。同様に多くの家にもスモッグは侵入していた。人々は目が痛み、のどや鼻を傷め咳が止まらなくなった。大スモッグの次の週までに、病院では[[気管支炎]]、気管支[[肺炎]]、[[心臓病]]などの重い患者が次々に運び込まれ、普段の冬より4,000人も多くの人が死んだことが明らかになった。その多くは老人や子供や慢性の患者であった。その後の数週間でさらに8,000人が死亡し、合計死者数は12,000人を超える大惨事となった。
 
この衝撃的な結末は大気汚染を真剣に考え直す契機になり、スモッグがすぐそこにある深刻な問題であることを全世界に知らしめた。イギリスでは多くのすすを出す燃料の使用を規制し、工場などがすすを含んだ排煙を出すことを禁じる新しい基準が打ち出され、[[1956年]]と[[1968年]]の「大気浄化法(Clean Air Act)」と、[[1954年]]のロンドン市法(City of London (Various Powers) Act 1954)の制定につながりました。
 
==外部リンク==