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{{ Infobox 航空機
| 名称=MGM-52 ランス
| 画像=Image:MGM-52 Lance 01.jpg
| キャプション=[[ホワイトサンズ性能試験場|ホワイトサンズ・ミサイル射場博物館]]に展示されているMGM-5252C ランス
| 用途=地対地戦域攻撃
| 分類=[[短距離弾道ミサイル]]、[[核ミサイル]]
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** [[イスラエル]]([[イスラエル国防軍]])
** [[イタリア]]
** [[イラン]]<ref name="MI">{{cite web |publisher = Missile.index Project|date = 2007-06-09|url = http://missile.index.ne.jp/jp/index.html|title = Missile.index|language = 日本語|accessdate = 6月23日|accessyear = 2007年}}</ref>
** [[イラン]]
** [[オランダ]]
** [[韓国]]<ref name="MI" />
** [[西ドイツ]]
** [[ベルギー]]
| 初飛行年月日=[[1965年]][[3月15日]](XMGM-52A)
| 生産数=2,133基<ref name="MI" />
| 生産開始年月日=[[1971年]][[1月]](生産契約)
| 運用開始年月日=[[1973年]][[9月]](在欧米軍配備)
| 退役年月日=[[1992年]][[6月30日]]
| 運用状況=退役
| ユニットコスト=
}}
 
'''MGM-52 ランス'''('''Lance''')は、[[水素爆弾|熱弾頭]]及び通常弾による火力支援を提供するのに用いられる[[アメリカ陸軍]]の移動式[[短距離弾道ミサイル]]・システムである。ランスは、[[1973年]]から[[MGR-1 (ロケット)|MGR-1 オネスト・ジョン]]・システム及び[[MGM-29 (ミサイル)|MGM-29 サージント]]の代替後継を務めたが、冷戦終結後の[[1992年]]に速やかに退役した。退役後、余剰となったロケットは、対ミサイル・システムの目標として使用されるために一部廃棄されずに保有され続けた。
 
ランスは、W70[[核弾頭]]を搭載していたが、W70-3は、戦場で即座に使える強化放射線能力[[中性子爆弾]]能力を持つ最初の弾頭のうちのひとつであった。また、本来の設計では[[化学兵器]]弾頭オプションを想定していたが、その開発は[[1970年]]に中止された。
 
== 開発 ==
アメリカ陸軍は、[[1950年代]]後期にミサイル「A」から「D」と呼ばれる一連の新型弾道ミサイルの要求を明確に述べ始めた。ミサイル「A」は[[MGR-3 (ロケット)|MGR-3 リトル・ジョン]]を、ミサイル「B」はMGR-1 オネスト・ジョンを、ミサイル「C」は[[MGM-29 (ミサイル)|MGM-29 サージェント]]を、そして後に[[MGM-31 (ミサイル)|MGM-31 パーシング]]となったミサイル「D」は[[レッドストーン|PGM-11 レッドストーン]]をそれぞれ置き換えるためのものであった。
 
ミサイル「B」に関する最初の要求仕様は[[1956年]][[10月15日]]に確立、[[1959年]][[3月29日]]にミサイル「B」の品質に関する開発要求情報(Qualitative Development Requirements Information, QDRI)がリリースされ、約60の企業・団体が事前調査のこの要請に応じた。ミサイル「B」プロジェクト事務局は、アメリカ陸軍兵器ミサイル司令部(Army Ordnance Missile Command, AOMC)の下に[[1961年]][[12月11日]]に確立され、[[1962年]][[8月1日]]のアメリカ陸軍ミサイル司令部(MICOM)の活動開始とともに設置された最初のプロジェクト管理事務局のうちの1つでもあった。
 
[[Image:Missile B proposals1.jpg|thumb|250px|ミサイル「B」の提案書の山。]]
AOMCは更に[[1962年]][[6月9日]]、簡易プラットフォーム慣性誘導(Simple Platform Inertial, SPI)と既にミサイル「A」の実験で効果をある程度立証できているDCAM(後述)の2つの技術的なコンセプト提案を求めた。これに応じた8社の中から[[1962年]][[8月1日]]に60日間の計画立案策定に2社が選定され、MICOMは[[8月20日]]にこれら2社に契約を与えた。ミシガン陸軍ミサイル工場(Michigan Army Missile Plant, MAMP)の[[クライスラー]]社と[[テキサス州]][[ダラス]]のリング・テムコ・ヴォート社(LTV)である。60日後の[[1962年]][[10月19日]]に2社から総合開発計画提案が提出され、その10日後にアメリカ陸軍の推薦が国防総省に提出された。[[1962年]][[11月1日]]、AOMCは、LTVをミサイル「B」開発のための主契約者として発表し、LTVの開発チームのためにMAMPをその研究用地として選定した。また。LTVは、[[1963年]][[1月11日]]にMICOMから契約書を受領し、正式にランス開発が始まった。LTVとの契約は、5ヶ年7,500万[[USドル]]のCPIF(cost-plus-incentive-fee、必要経費及び予定報酬料金)契約だった。CPIF契約は研究開発のすべての段階をカバーする当時としてはユニークなもので、このとき陸軍の兵器システム開発に初めて適用された。
 
ミサイル「B」は開発開始時点では[[1958年]][[8月19日]]のヨーロッパ大陸軍司令部(CONARC、Continental Army Command)からのQMR(Qualitative Materiel Requirements、軍需品質要求仕様)に対する[[1961年]][[7月5日]]の承認に基づき、1,000 lb(450 kg)のペイロードを持ち、核弾頭、通常弾頭又は化学兵器弾頭を搭載可能とし、75 kmの射程を持つことを要求されていた。精度は、ミサイルの単価を安く抑えるために約8 km(5 mi)に設定されていた。
 
[[1962年]][[11月26日]]にアメリカ陸軍省はミサイル「B」をランスという名称に公式に変更し、[[1963年]][[6月]]に、新たに定められた[[ミサイル・ロケットの命名規則 (アメリカ合衆国)|命名規則]]に基づき制式名'''MGM-52'''を割り当てた。また、LTVは、ランスの開発にあたってエンジニアリング・モデル(EM)、生産へ移行するのためのタクティカル・プロトタイプ(TP)及び量産のためのプロダクション・モデル(PM)の3つの構成のミサイルを計画した。
 
ロケット・モーターは[[ロケットダイン]]によって製造されたが、その開発は大きな困難を伴い、開発の初期から後期に至るまで様々なトラブルが発生し、大幅な開発の遅延を招いた。このため、最初のLTVの開発契約から配備が承認されるまで10年近い期間を要することとなった。
 
[[1964年]][[4月]]までに推進システムの開発が困難であることが判明し、ロケット・モーターに関する深刻な問題を解決するために、[[ロケットダイン]]を下請けに置くことになった。ロケットダインの開発チームは技術上及び管理上の問題を確認し、ブースター比推力、エンジン名目推力及びミサイル動力飛行時間を減らすことで是正措置をとったが、その一方で縮小されたエンジン性能を補うためにミサイルの全長を延長し、重量を増やさなければならなかった。開発への影響は、少なくとも6ヶ月の期間と3,000万ドルもの費用に達した。[[1966年]][[3月]]にLTVとの契約が更新され、新しい費用と予定報酬が定められたが、費用超過と計画遅延により最初の契約の報酬分を帳消しにしてしまっていた。
 
[[Image:MGM-52 Lance 08.jpg|thumb|250px|XMGM-52Aの試射。[[ホワイトサンズ性能試験場|ホワイトサンズ・ミサイル射場]]、1965年3月15日。]]
ロケット・モーターの試験は、[[1965年]][[1月16日]]に初めて成功し、EMミサイル('''XMGM-52A''')の最初の飛行試験は、[[1965年]][[3月15日]]に実施され、成功を収めた。その際、ランスは遠地点で125 kt(約60 m/s)の強烈な横風を経験し、ランスDCAM理論はこの飛行によって実証された。DCAM誘導原理の確認を含む試験は[[1966年]][[10月3日]]まで続き、6回のEM試験が繰り返された。その翌月に限定生産(LP)への推挙が陸軍省(DA)に提出され、[[1967年]][[6月15日]]に17セットの地上支援装備(Ground Support Equipment, GSE)のLP獲得が認可された。
 
[[1965年]][[4月]]に、より高性能のロケット・モーター、より大きなミサイル・フィンを用い、弾頭部からバラストを取り外すことによって、ランスの射程を約125 kmに大幅に延伸できることが研究によって示された。改修されたミサイルは射程延長型ランス(Extended Range Lance, XRL)と呼ばれ、ミサイル「B」及び「C」の要求を同時に満たした。陸軍省は、[[1967年]][[3月]]にXRLの開発を承認し、XRLは'''MGM-52B'''に指定された。
 
TPミサイル(XMGM-52A)の飛行試験は[[1967年]]前半に始まったが、TPミサイルの爆発が5度目になったとき、試験プログラムは[[1967年]][[10月20日]]に一時中断した。失敗の根本的原因を見つけるために新しい診断アプローチを開発し、最も可能性のある原因に絞り込まれ、根本的原因を探求する前に不具合の再現性が確かめられた。修正作業はそれから実施され、この失敗の根本的原因は[[1968年]][[5月13日]]に確認された。 修正は、酸素量の多い燃焼ガスが、熱を持った燃料量の多い固体推進剤ガス・ジェネレータの燃焼ガスと混ざらないようにする適切なSOS(Seal to Spring)で実現された。新しい燃料系による飛行は、[[1968年]][[8月30日]]に成功し、[[1969年]][[3月]]までに更に4基の試験飛行でその改善が保証された。これらの試験が続けられている間、XRL構成のランスだけが配備されることが[[1967年]][[12月15日]]に決定された。
 
[[Image:MGM-52 Lance 04.jpg|thumb|250px|XMGM-52B]]
XMGM-52B XRLミサイルの初飛行は[[1969年]][[5月13日]]にあり、いったんは成功を収めたが、[[1969年]][[7月11日]]に、XRLのロケット・モーターは、不安定な燃焼のために故障した。再び故障診断と故障分離が実施され、問題を解決したことが[[1969年]][[10月24日]]に示された。その翌年の[[1970年]][[3月6日]]には要求を満たす125 kmの射程と3.5 miの精度を示すことができ、[[1970年]][[9月10日]]に75基のミサイルの製造がLPに推されたものの、化学兵器弾頭の飛行はキャンセルされた。
 
XMGM-52Bの最初のエンジニアリング・テスト/サービス・テスト (ET/ST)は、[[1971年]][[8月13日]]に実施されたが、失敗に終わった(しかもその日は金曜日だった)。原因は、核弾頭に起因するミサイルの動力停止であった。改善作業は2基目の核弾頭ミサイルの飛行試験が実施された[[1971年]][[11月30日]]まで続いたが、この試験も失敗してしまった。これらの失敗により、核弾頭回路の大幅な再設計を必要となり、この後更に12基のミサイルと9ヵ月の期間が再設計を保証するために費やされることとなった。
 
生産確認IPRが[[1972年]][[5月9日]]に開かれ、ET/STの結果に基づいてランス・ミサイルがスタンダードA(Type Classification Standard "A", TC-STD-A)に指定、核弾頭LP生産量の拡大も推挙された。その後の[[1973年]][[4月16日]]のIPRで核弾頭もTC-STD-Aに指定され、ようやく配備できる状態にまでこぎつけた。計画されていた化学兵器弾頭及び通常弾頭は[[1971年]][[12月]]にアメリカ議会によってキャンセルされていたため、初期のすべてのランスはW-70可変核出力熱核弾頭([[核出力]] 1 - 100 kt)を装備していた。XMGM-52Bの試験が若干再設計されながら続けられている間に、すべての改善を反映したランスの最終的な生産構成は、'''MGM-52C'''に指定された。
 
=== 通常弾頭 ===
[[Image:MGM-52 Lance 05.jpg|thumb|250px|XMGM-52A]]
非核弾頭プログラムは、XM41小型爆弾の不発率の高さに起因する継続的な問題のために遅々として進まなかったため、1969会計年度の後半に標準的なM40小型爆弾をランスに用いる方策が模索されたが、アメリカ議会は非核弾頭の調達に関する全ての資金を[[1971年]][[11月]]にキャンセルした。
 
その後、資金の調達が可能になったため、非核弾頭開発の再開が[[1973年]][[1月]]に認可され、[[1974年]][[4月]]までにM40子弾小型爆弾を用いるXM251非核弾頭の10回にわたる飛行試験を実施したが、XM811E5主信管の再設計と再試験が必要と判断され、3ヶ月開発が遅れることとなった。[[1976年]]に、MGM-52Cの非核弾頭部の製造が承認され、同年[[10月]]から製造が開始された。非核弾頭はM251と呼ばれる[[クラスター爆弾]]による弾頭であった。M251弾頭は[[1978年]]にアメリカ陸軍で運用が開始され、通常兵器化されたランス・ミサイルはいくつかの型の弾頭で多くのNATO加盟国で使われた。
 
=== 強化放射線核弾頭 ===
[[Image:MGM-52 Lance 03.jpg|thumb|250px|XMGM-52B。[[パナマ運河地帯]]フォート・シャーマン、1967年6月。]]
[[1977年]]には、W-70核弾頭の派生型であるW-70 Mod 3を生産する準備ができていた。W-70 Mod 3は、ER(Enhanced Radiation、放射線強化)弾頭であり、一定の範囲の中で人間の中枢神経系を攻撃する高レベルの中性子線を大量を発するように設計されていた。いわゆる[[中性子爆弾]]である。中性子線は、通常の核爆弾で発する放射線と違い、鉛を含む遮蔽物がほとんど役に立たないため、遮蔽物の陰や戦闘装甲車輌の中にいる敵兵を殺傷することを目的としていた。また、民間施設やインフラへの損害を減らすために通常の熱核弾頭より爆風と熱による破壊力が小さくされていた。
 
アメリカ政府は、ランスの強化放射線核弾頭がドイツ連邦共和国を破壊することなく敵兵だけを殺傷することができることを強調し、躊躇なく使うことができる核兵器としてソ連に圧力をかけることによってソビエトの侵攻を阻止できると考えていたが、[[ワシントン・ポスト]]紙が建造物の被害を最小限にして人間だけを殺す兵器として中性子爆弾(Neutron Bomb)という用語を用いて軍の開発を報じたため、ランスは一時悪評を得ることとなった。アメリカ議会は[[1977年]][[7月13日]]にER弾頭の生産資金を承認したが、政治的理由のために当時の[[ジミー・カーター]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は[[1978年]][[4月]]に中性子弾頭の製造を延期した。大統領が代わり[[1981年]][[8月10日]]、カーター大統領が定めた方針が覆され、[[ロナルド・レーガン]]大統領は、ミサイルと砲弾の弾頭として中性子爆弾の生産を認可し、製造が開始された。しかし、ER弾頭はアメリカ合衆国内に留め置かれ、海外に出荷されることはなく、使用に関しても厳しい制限が設けられ、決して野戦部隊に持たされることはなかった。
 
== 特徴 ==
[[Image:MGM-52 Lance 02.jpg|thumb|250px|MGM-52Cの発射。弾体側面から特徴的な黒煙を吐く。]]
ランスは、貯蔵可能液体推進剤を用いた新型可変推力デュアル・スラスト液体燃料ロケット・モーターを搭載していた。また、ランスは発射の直後に特徴的な黒煙を生じる、4基のスピン・モーターを使用していた。ランスは、1,500 mの距離まで加速する高推力ブースターで発射され、その後可変推力サステナーによる弾道維持飛行に移行する。
 
誘導には、[[1961年]][[5月]]にウィリアム・C・マコークル博士とOMLのR・G・コナードによって発明されたDCAM(Directional Control Automatic Meteorological)補償原理を用いた'''AN/DJW-48'''完全内蔵慣性システムを用い、加速段階の方向をブースターへの二次噴射を指令するジャイロで制御した。また、ミサイルの加速を加速度計で絶えずモニターし、ブースターの停止と可変推力サステナーを加速度計で制御した。このシステムでは、推力をミサイルの空気抵抗に等しくして予定された弾道にミサイルを保つために正確な推力量を提供することで、いかなる大気条件の変化や障害に対してもそれを補償した。
 
ランスは従前のサージェントと比較して、運用及び維持がはるかに簡単だった。ミサイルは遅滞なく即応時間15分未満で発射されることができ、そのコンパクトなサイズのため、より多くのミサイルを1つの部隊によって移動させることができた。
 
== 運用 ==
ランスのミサイル製造は[[1970年]][[9月]]に承認され、最初のランス大隊であるである第333野戦砲兵連隊第1大隊は[[1973年]][[9月]]に在欧アメリカ陸軍(USAREUR)に配備された。その時、システムはその初期作戦能力(Initial Operational Capability, IOC)を獲得した。[[1975年]][[9月]]に在欧アメリカ陸軍のランス配備が完了し、サージェント4個大隊とオネスト・ジョン14個大隊と交替した。8番目のランス大隊(当初韓国に配備予定だった)が[[1975年]][[11月]]フォート・ジルで活動を開始して戦略軍大隊(Strategic Forces Battalion)に指定されたことでアメリカ陸軍のランスの配備が完了し、ヨーロッパに6個大隊、アメリカ合衆国内に2個大隊の計8個のランス大隊があった。ランスはまた、通常弾頭型が海外軍事有償援助(foreign military sales, FMS)により[[北大西洋条約機構|NATO]]加盟国([[イタリア]]、[[イギリス]]、[[ドイツ連邦共和国]](西ドイツ)、[[ベルギー]]、[[オランダ]])及び[[イスラエル]]に輸出され、[[1976年]][[9月30日]]の時点でランスのFMSによる総売上数は、発射機76基、ミサイル903基、10個大隊規模に達した。[[1976年]][[10月29日]]にLTVは、360基の通常弾頭ランスの追加生産契約を受注した。
 
ランス・ミサイルの燃料供給は、アラバマ州アニストン陸軍兵站部(Anniston Army Depot, ANAD)に[[1965年]][[8月17日]]に割り当てられ、その供給活動は[[1967年]][[5月1日]]に始まったが、燃料の[[非対称ジメチルヒドラジン]](UDMH)不足に陥り、[[1975年]][[6月30日]]時点で300基のランス・ミサイルが燃料を充填できないままになっていた。国防総省の配分は限られていたことに加えANADのランスの所要量による不足状態は、2年間解消されなかった。
 
[[Image:LANCE operations close orders 1980.jpg|thumb|250px|MAMPでのランスに関する活動の停止を指示する陸軍省の1980年10月22日付の命令書。]]
アメリカ陸軍への通常弾頭型のランスの配備は[[1978年]][[5月]]に始まり、[[1980年]][[9月]]に完了したが、その後まもなくの[[1980年]][[10月1日]]にMAMPにおけるランスの製造が終了し、同プラントはアメリカ陸軍TARCOM(Tank and Automotive Materiel Readiness Command)へ移管された。また、ランスの修理用部品の製造はダラスのLTVへ移され、ANADの燃料供給活動も同日に終えた。
 
当初、ランス・システムは[[1980年代]]中頃に引退する予定だったが、[[1990年]]まで延長された。陸軍省は、核兵器専用ランスの保管寿命を[[1995年]]まで延長することを[[1985年]][[6月]]に決定したが、[[1991年]][[9月27日]]に、[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]大統領は単独で核兵器の削減を発表した。それに続いて同年[[10月5日]]に[[ソビエト連邦]]の[[ミハイル・ゴルバチョフ]]大統領によって同様の発表がなされた。しかしながら、その後まもなくソ連が崩壊したため、後にこの核軍縮合意が再確認され、[[1992年]][[2月1日]]にブッシュ大統領と[[ロシア]]の[[ボリス・エリツィン]]大統領がワシントンで冷戦の終結を宣言した。また、[[1992年]][[5月23日]]にアメリカ合衆国、ロシア、[[ベラルーシ]]、[[カザフスタン]]及び[[ウクライナ]]が条約に調印した。
 
ランスの退役は[[1991年]]から始まり、最後のランス大隊が[[1992年]][[6月30日]]にオクラホマ州フォート・シルで解散たことで完了した。[[1991年]]に通常弾頭のみ搭載可能な新型の[[MGM-140 (ミサイル)|MGM-140 ATACMS]]が使用可能になったため、このような迅速な退役が可能となった。1993会計年度に前記の核軍縮条約に従ってランスは非武装化され、標的としての用途が再設定された。システムに対する責任は、MICOM Integrated Materiel Management Center(IMMC)からWSMDに移され、ランス非武装化プログラムは、[[1995年]][[7月]]に[[スコットランド]]のビショップトンで完了した。余剰となったランス・ミサイルは標的用として保管され、他の運用国における解体費用を回避することとなった。
 
== 各型 ==
* '''XMGM-52A''' - 当初の要求仕様に基づいたランス。性能は要求を満たしていたが、生産には至らなかった。
* '''XMGM-52B''' - 射程延長型ランス(XRL)。
* '''MGM-52C''' - 生産型ランス。
 
== 仕様 ==
=== MGM-52C ===
<small>''Designation-Systems.Net<ref>{{cite web |last = Parsch|first = Andreas|date = 2005-12-09|url = http://www.designation-systems.net/dusrm/m-52.html|title = Designation-Systems.Net - MGM-52|language = 英語|accessdate = 6月30日|accessyear = 2007年}}</ref>''</small>
* 全長: 6.1 m (20 ft)
* 直径: 0.56 m (22 in)
* 発射重量: 1,290 kg (2,850 lb)
* 機関: [[ロケットダイン]] 液体燃料ロケット・モーター
*: 推力(ブースター): 186 kN (42,000 lb)
*: 推力(サステナー): 最大 20 kN (4,400 lb)で可変
* 速度: [[マッハ数|M]] 3
* 到達高度: 45 km (150,000 ft)
* 射程: 125 km (75 miles)
* 弾頭
*: W70 [[水素爆弾|熱核弾頭]] ([[核出力]]:1 - 100 kt)
*: W70 mod 3 放射線強化型熱核弾頭([[中性子爆弾]])(実際に装備されたことはない)
*: M251 [[クラスター爆弾|クラスター弾頭]](M40小型爆弾使用)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
* {{cite web |publisher = レッドストーン兵器廠|url = http://www.redstone.army.mil/history/lance/welcome.html|title = Redstone Arsenal Historical Information - LANCE|language = 英語|accessdate = 6月30日|accessyear = 2007年}}
 
== 関連項目 ==
* [[MGM-5 (ミサイル)|MGM-5 コーポラル]]
* [[MGM-29 (ミサイル)|MGM-29 サージント]]
* [[シーランス (ミサイル)|UUM-125 シーランス]] - 潜水艦発射型ミサイル。似たような名称をつけられているが、MGM-52 ランスとは無関係。
* [[アメリカのミサイル一覧]]
 
== 外部リンク ==
{{Commons|MGM-52 Lance|MGM-52 ランス}}
* [http://www.redstone.army.mil/history/lance/welcome.html Redstone Arsenal History Information] - LANCE
* [http://www.redstone.army.mil/history/lance/welcome.html Redstone Arsenal History Information - LANCE]
* [http://www.globalsecurity.org/military/systems/munitions/mgm-52.htm Globalsecurity.org] - MGM-52 Lance
* [http://www.globalsecurity.org/military/systems/munitions/mgm-52.htm Globalsecurity.org - MGM-52 Lance]
{{Commons|MGM-52 Lance}}
 
{{weapon-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:MGM-052}}
[[Category:弾道ミサイル|MGM-052]]
[[Category:弾道ミサイル]]
 
[[de:Lance]]