「ビートルズの解散問題」の版間の差分
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初期の頃は天才メロディメーカー「レノン&マッカートニー」の陰に隠れ、自分の実力を十分に発表出来ず(1アルバムにつき1~3曲程度の収録数であった)、寡黙な性格も手伝ってかメンバーの中で一番影が薄く、「静かなるBeatle」という嬉しくない仇名を持っていた。
しかし、彼の実力は後期になるにつれて少しずつ開花していき、インド音楽への接触や民族楽器[[シタール]]を導入する等、独自の世界観を構築する事に成功し、その作曲能力はレノン&マッカートニーに匹敵するまでになる。にも関わらず、後期においてメンバー内での発言力を有していたポールは彼の能力を軽視し、何回も演奏技術にケチをつけたり、自由な作品発表の場を与えずにいた。また、ジョンもビートルズがライブ活動を止め、スタジオ活動しかしなくなったことに強い不満を持っており、スタジオ活動を重視していた
ビートルズ解散直後でもメンバー同士がセッションやプライベートで会った記録は数多くあるが、ポールとジョージが一緒になった記録はあまり見られない(『[[想いは果てなく~母なるイングランド]]』『[[ディス・ワン]]』も参照)。
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