「郵便馬車」の版間の差分

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[[サマセット州|サマセット]]の[[バース (イギリス)|バース]]で劇場を経営していた[[ジョン・パーマー]]は、それ以前に劇場から劇場へ出演者と舞台装置一式を輸送する仕事をおこなっていた。パーマーは、この馬車によるサービス業務が国全体に郵便物を輸送することにも応用できるのではないかと考え、1782年にロンドン郵便局に対し提案をおこなったところ、これが受け入れられることとなった。当初、局員らからの抵抗があったが、最終的には、英国大蔵省大臣の[[ウィリアム・ピット]](William Pitt the Younger)がパーマーに対し[[ブリストル]]=[[ロンドン]]間を試験的に走らせて見ようと許可を与える。古い制度の下では郵便物輸送は38時間かかっていた。パーマーが資金提供して作成したコーチ(馬車)は1784年8月2日の午後4時にブリストルを出発し、ロンドンに16時間後に到着した<ref name="PO" />。
 
これに印象をよくしたピットは新たな路線も認可し、1785年末にはロンドン=[[ノリッジ]]、[[リヴァプール]]、[[リーズ]]、[[ドーバー (イギリス)|ドーバー]]、[[ポーツマス (ハンプシャー州)|ポーツマス]]、[[:en:Poole|プール]]、[[エクセター]]、[[グロスター]]、[[ウスター]]、[[ホリヘッド]]、[[カーライル (イングランド)|カーライル]]を結んだ。[[エディンバラ]]へのルートも翌年追加される。パーマーは郵便業務の会計監査兼検査業務を担当する総支配人(Surveyor and Comptroller General of the Post Office)としての地位を得た。
 
当初は、馬車、馬、御者はすべて、業務契約した者が提供する必要があった。しかし規定の固定収入に加え乗客に運賃を課すことができたので契約を勝ち取るために非常に熾烈な駆け引きがおこなわれた。19世紀初頭に郵便局自身がコーチを運用するようになる。このコーチは黒色とえんじ色(スカーレット)の色で塗られていた