「ヴィットーリア・デッラ・ローヴェレ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Loveless (会話 | 投稿記録)
m robot Modifying: it:Vittoria della Rovere
編集の要約なし
4行目:
[[ウルビーノ]]公子フェデリーコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレと、[[クラウディア・デ・メディチ]]の一人娘として、[[ペーザロ]]で生まれた。父の死後、母が[[オーストリア]]大公レオポルト5世と再婚したため、[[デッラ・ローヴェレ家]]で養育された。彼女は敬虔な[[カトリック]]教徒として育った。
 
1623年、ヴィットーリアは従兄フェルディナンドと婚約し、1634年に結婚した。祖父[[フランチェスコ・マリーア2世デッラ・ローヴェレ]]が亡くなると、ウルビーノ公家の推定相続人となったが、公国は[[ローマ教皇]][[ウルバヌス8世]]により教皇領として吸収され、世襲はならなかった。メディチ家はデッラ・ローヴェレ家の豊富な芸術コレクションを受け継ぎ、これらは現在[[ウフィツィ美術館]]や[[ピッティ宮殿]]で見ることができる。
 
2児が幼くして亡くなり、1642年に生まれた長男コジモの教育を巡って、近代的な教育をしたい夫フェルディナンドと対立した。結局、ヴィットーリアが厳格なカトリック教育を少年に強いた。二男フランチェスコ・マリーアは1660年に生まれた。