「フェルディナンド・デ・メディチ (大公子)」の版間の差分

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'''フェルディナンド・デ・メディチ''' (Ferdinando de' Medici,[[1663年]][[8月9日]] - [[1713年]][[10月31日]])は、[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公子]]。トスカーナ大公[[コジモ3世]]と妃[[マルゲリータ・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=オルレアンス|マルゲリータ・ルイーザ]]の長男。『フェルディナンド3世』と表記しているものもあるが、彼は大公に即位していないので、ここでは大公子とする。
 
父コジモと母マルゲリータは、長男のあとに長女[[アンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ|アンナ・マリーア]]、次男[[ジャン・ガストーネ・デ・メディチ|ジャン・ガストーネ]]と子供をもうけたが、1675年に別居した。彼女は夫を軽蔑しきっており、[[フィレンツェ]]にいるよりも、モンマルトルの修道院に限っていられる、[[パリ]]に戻る方がほんのわずかでもましだった。コジモがフィレンツェに戻るよう要請した時、マルゲリータは初めて夫に出会ったときから地獄にいたと返答した。
 
フェルディナンドは、父の弟フランチェスコ・マリーアや弟ジャン・ガストーネと同様、音楽家を保護した。[[バルトロメロ・クリストフォリ]]、[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]]、[[アレッサンドロ・スカルラッティ]]、[[コレッリ]]、[[ヴィヴァルディ]]らである。また、画家[[ジュゼッペ・マリーア・クレスピ]]、[[セバスティアーノ・リッチ]]のパトロンでもあった。