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2007年7月13日 (金) 21:15時点における版
茶谷薫重(チャタニクンジュ)は関西の発明家。自動現像機などのメーカーであるエフシー製作所の社長を務めた。第1回全国発明コンクールで発明協会賞、第4回明石記念賞を受賞。
茶谷はエフシー製作所時代に、縦走りで金属幕のフォーカルプレーンシャッター、茶谷シャッターを開発した。このようなシャッターは、古くはツァイス・イコンのコンタックスがあるが、これは横長の金属板を鎧戸式に繋げたもので、工作が大変に困難で、かつ、故障が少なくなかった。茶谷も横長の数枚の金属板でシャッター幕を構成したが、シャッターを動かすアームをシャッター幕のすぐ裏側に取り付けることで、シャッター幕の構造を簡単にした。これは踏切の遮断機がヒントになったという。
このシャッターの量産化を担当したコパルは、基本設計はそのままに、OEM供給しやすくユニット化し、1960年にコパルスクエアと命名してカメラメーカーに供給。ニコン、マミヤ、コニカなどの一眼レフカメラに採用され、性能・耐久性に優れたシャッターとして高い評価を得た。
その後、茶谷とコパルの関係は悪化、訴訟は10年間に及んだ。
参考文献
- 小倉磐夫「国産カメラ開発物語―カメラ大国を築いた技術者たち」朝日新聞社 2001年 ISBN 4022597844