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'''慕本王'''(ぼほんおう、生年不詳 - [[53年]])は、[[高句麗]]の第5代の王(在位 [[48年]] - 53年)。姓は高、[[諱]]は解憂
== 治世 ==
[[49年]]2月、将軍を派遣して[[後漢]]の[[北平郡|北平]]・[[漁陽]]・[[上谷]]・[[太原]]を襲撃させたが、[[遼東]][[太守]]の[[蔡彤]]は恩義と信義とをもって対応したので、両国間の関係は和親に戻った。『[[後漢書]]』蔡彤伝に拠れば、[[匈奴]]対策として[[鮮卑]]などを懐柔しようとした蔡彤が鮮卑の[[朝貢]]に対して何倍もの下賜品を与えたことを伝え聞いた高句麗が、それまで敵対していたにもかかわらず後漢の遼東へと朝貢を行ったという記事があり、符合している。
国内の飢えた民に施すこともあった([[49年]]8月)が、後には人の上に座ったり人を枕にするなどして揺れ動いたものは容赦なく殺し、諫言する臣は弓で射殺すなど、暴虐の王と化した。そのために、いつか王に殺されると恐れた杜魯という側近によって53年11月に殺害された。そして慕本原に葬られ、慕本王と[[諡]]された。
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<references />
== 関連項目 ==
*[[百済]] : [[多婁王]](在位 : 28年 - 77年)
*[[新羅]] : [[儒理尼師今]](在位 : 24年 - 57年)
== 参考文献 ==
*『[[三国史記]]』第2巻 [[金富軾]]撰 [[井上秀雄]]訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
*[[鮎貝房之進]]『朝鮮姓氏・族制考』国書刊行会、1987(原著 1937)
*井上秀雄『古代朝鮮』 講談社<講談社学術文庫>、2004 ISBN 4-06-159678-0(原著『古代朝鮮』日本放送出版協会、1972)
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[[Category:53年没|ほほんおう]]
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