「SWAY (フォークグループ)」の版間の差分

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'''SWAY''' (スウェイ) は、1980年代から2000年代初め頃にかけて活動した日本の女性[[デュオ]]である。
 
杉山加奈と堀部雅子の二人が当初「さそり座」の名で結成した。二人が中学2年生の時、自作曲『窓ガラスのへのへのもへじ』が第28回[[ヤマハポピュラーソングコンテスト]](ポプコン)で優秀曲賞を受賞し、1985年2月、ポリドールから同曲でデビューした。1987年の『おいでブランコリー』は第17回[[世界歌謡祭]]で金賞。この時は高校生。同年、NHK[[みんなのうた]]に「最後のシュート」という楽曲を提供した。これは引退試合で破れた[[バスケットボール]]部員の心象を歌いあげたものである。1990年に自主製作CD『チャイム』を発売した後、事務所を変わったことを機に「SWAY」と改名、二枚のCDアルバム、一枚のシングル、二冊のCDブックを発売した。[[フォークソング|フォーク]]調の歌唱法、低声部(堀部)が主にリードをとり高声部が3度とオブリガートを付けていくスタイルで、さまざま断面での青年期の心象風景を歌い、地味ながらある程度の人気があった。『ある日突然』はTVバラエティ番組「[[うれしたのし大好き]]」のエンディングにも使われた。最初のCDブック「風の子フータ」ではストーリー、挿絵、音楽全てをSWAY自身が手掛けた。NHK[[みんなのうた]]には「最後のシュート」という楽曲を提供した。これは引退試合で破れた[[バスケットボール]]部員の心象を歌いあげたものである。1991年から1992年にかけて、NHK名古屋FMの「[[FMリクエストアワー]]」でDJを担当した。
 
ところが、堀部が結婚引退することになり、改名以降アレンジとプロデュースを担当してきた「三人目のSWAY」こと[[丸尾めぐみ]]が1999年以降ボーカルとしても参加。ソングブック「[[夢のクレヨン王国]]」等に参加し、ライブも継続して行ってきたが、今度は杉山が結婚にともないタイに渡ったため、惜しまれつつ現在活動停止状態となっている。