「ソ連邦建設」の版間の差分
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『'''ソ連邦建設'''』(それんぽうけんせつ)とは、[[1930年]]から[[1941年]]まで基本的に月刊で刊行されていた、[[ソビエト連邦|ソ連]]の対外宣伝向け[[プロパガンダ]]・グラフ[[雑誌]]。[[第一次五ヶ年計画]]の成果を内外に知らしめることを目的として創刊された
グラフ雑誌として優れてはいたが印刷・製本はかなり粗雑な造りであった。なお、[[ドイツ]]のソビエト侵攻の影響により 露英独仏西の5か国語版で刊行され、その順にタイトルは、
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である。なお、この雑誌の題名は日本語において、『建設のソ連邦(建設のUSSR)』、『ソ連建設』、などと訳出されることもある。
[[美術]]的な観点からは<br>
その他に、次のような写真家も参加したとされる。
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*アナトーリー・スクリーヒン(Анатолий Скурихин, Анатолий В. Скурихин, Anatoly Skurikhin, Anatolii Skurikhin, [[1900年]]-[[1990年]])
アメリカの『[[ライフ (雑誌)|LIFE]]』、『LOOK』など、他国の雑誌に与えた影響も大きく、特に、日本の雑誌『[[FRONT]]』は、極めて強い影響を受けた[[原弘]]らの[[アートディレクション]]のもと、この『ソ連邦建設』の日本版を目指し
日本において、『ソ連邦建設』を中心に取り上げた研究文献はなく、エル・リシツキー、FRONT、原弘等に関する文献において、副次的に取り上げられているのみである。今後の、綜合的・網羅的な紹介が待たれる。
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