「土岐頼行」の版間の差分

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その後は検地や羽州街道の整備、城下町の整備を実施して藩政の基礎を固める一方で、[[朝鮮通信使]]の饗応役、[[大坂城]]番、[[甲府勤番]]などを歴任している。寛永6年([[1629年]])から寛永9年([[1632年]])までは[[紫衣事件]]で処罰された[[沢庵宗彭|沢庵]]の身柄を預かっている。
 
はじめ次の土岐頼長を嫡子としたが、不行跡かつ病弱で廃嫡したため、[[延宝]]6年([[1678年]])8月16日、家督をの土岐頼殷に譲って[[隠居]]し、入道して宗是と号した。貞享元年(1684年)12月10日に死去。享年77。
 
{{先代次代|[[高槻藩|土岐氏(高槻藩2代)藩主]]|1619 - 1619|[[土岐定義]]|[[松平家信]]}}