「土岐頼行」の版間の差分
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その後は検地や羽州街道の整備、城下町の整備を実施して藩政の基礎を固める一方で、[[朝鮮通信使]]の饗応役、[[大坂城]]番、[[甲府勤番]]などを歴任している。寛永6年([[1629年]])から寛永9年([[1632年]])までは[[紫衣事件]]で処罰された[[沢庵宗彭|沢庵]]の身柄を預かっている。
{{先代次代|[[高槻藩|土岐氏(高槻藩2代)藩主]]|1619 - 1619|[[土岐定義]]|[[松平家信]]}}
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