「官営幌内鉄道」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
|||
17行目:
[[軌条|レール]]は15kg(30ポンド/ヤード)の錬鉄製、[[枕木]]の本数は少なく道床も薄かった。手宮に機関庫と工場が設けられたが、小樽駅(現在の[[南小樽駅]])や札幌駅は仮駅で、途中の[[朝里駅|朝里]]、[[手稲駅|軽川]]、[[琴似駅 (JR北海道)|琴似]]の各駅は、「フラグストップステーション」(列車に乗る場合、駅に置かれた旗を上げておいて機関士に知らせ、旗が立っていない場合は通過させる[[鉄道駅]])アメリカ式の駅であった。
開業に当たっては、アメリカの
[[1882年]](明治15年)2月、開拓使は廃止され、鉄道と炭鉱は[[工部省]]の所管となった。同年6月、札幌~江別間が仮開業し、11月には手宮~幌内間が全通した。翌[[1883年]](明治16年)9月17日には、手宮~幌内間鉄道の開業式が札幌で開催され、皇族や陸軍卿のほか、鉄道局長[[井上勝]]も列席している。この日は、市民の鉄道への理解を深めるため、終日無料で開放されたという。
|