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自身の試合中に父リック率いる[[フォー・ホースメン]]が手助けしてくれたこともあり、父親とは仲直り。7月には[[スコット・スタイナー]]がUS王座を剥奪されたことにより、[[ディーン・マレンコ]]と王座戦を戦う。セコンドについた父リック、[[アーン・アンダーソン]]らホースメンメンバーの介入により、自身は何もせずUS王座を獲得する。しかしその後、父リックは[[エリック・ビショフ]]と衝突し、アンダーソンもプロレス引退することになり、一人で戦うことになってしまい、US王座は案の定[[クリス・ベノワ]]に奪われてしまう。9月にはマネージャーであったトリーを[[ビリー・キッドマン]]に取られてしまった。
 
その後、再び父リックとアンダーソンも復帰し、[[ダイヤモンド・ダラス・ペイジ|DDP]]夫妻との長い抗争が始まる。[[1999年]]にはクロウバーとのタッグ'''ニュー・ハードコア・ジェネレーション'''を結成し、WCWタッグ王座を獲得する活躍をみせる。[[2000年]]になり、ミス・ハンコック(現[[ステイシー・キーブラー]])をマネージャーにつける。その後リングでは[[結婚式]]も行われ、ハンコックの妊娠を機に大騒動が起こり話題になる。
 
WCW崩壊後はインディー団体でしばらく活動し、その後[[WWE]]と契約。[[OVW]]に送り込まれ、その後WWEにてリック・フレアーと[[ジ・アンダーテイカー]]抗争ストーリーに関わるが、その後すぐに退団する
[[2000年]]になり、ミス・ハンコック(現[[ステイシー・キーブラー]])をマネージャーにつける。その後リングでは[[結婚式]]も行われ、ハンコックの妊娠を機に大騒動が起こり話題になる。
 
[[2002年]][[12月]]には[[TNA]]に参戦。ビンス・ルッソーのS.E.X.なるユニットのメンバーとして活動。TNA離脱後はインディ団体IWAに移る。
WCW崩壊後はインディー団体でしばらく活動し、その後[[WWE]]と契約。[[OVW]]に送り込まれ、その後WWEにてアンダーテイカーのストーリーに関わるが退団する。
 
[[2005年]][[1月]]、父リックと親交があり、自身もWCW時代同時期に在籍していた[[武藤敬司]]が社長頼り務める[[全日本プロレス]]に参戦。父リック・フレアーばりの「Woooo!」を連呼し、またフレアームーヴなどで会場を沸かせた。
[[2002年]]12月には[[TNA]]に参戦。ビンス・ルッソーのS.E.X.なるユニットのメンバーとして活動。TNA離脱後はインディ団体IWAに移る。
 
[[2006年]]に[[スマックダウン]]の[[ダークマッチ]]に出た後消息は途絶えていたが、[[2007年]][[6月]]にインディ団体で試合を行っている。
[[2005年]][[1月]]、[[武藤敬司]]を頼り[[全日本プロレス]]に参戦。父リック・フレアーばりの「Woooo!」を連呼し、またフレアームーヴなどで会場を沸かせた。
 
== 得意技 ==
[[2006年]]に[[スマックダウン]]の[[ダークマッチ]]に出た後消息は途絶えていたが、2007年6月にインディ団体で試合を行っている。
*[[足4の字固め]]
*デアデビル
:[[ブレーンバスター]]。
*[[DDT]]
 
== タイトル ==
;WCW
*US王座
*タッグチーム王座(&クロウバー)
;NWA
*[[NWA世界タッグチーム王座]]
*NWAジョージア州タッグチーム王座
;IWA
*IWA IC王座
 
{{DEFAULTSORT:てひつと ふれあ}}
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[[Category:全日本プロレス]]
[[Category:1979年生]]
 
[[en:David Flair]]
[[da:David Flair]]