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'''しつけ'''('''躾'''・'''仕付け'''または'''仕付''')とは、人間または家畜の[[子ども]]または大人が、人間[[社会]]・[[集団]]の[[規範]]、規律や[[礼儀作法]]など[[慣習]]に合った立ち振る舞い(規範の内面化)ができるように、[[訓練]]すること。概念的には伝統的な子どもへの誉め方や罰し方も含む。[[ドイツ語]]では、しつけのことを、''der Zucht''というが、これは人に限らず[[動物]]([[家畜]])の[[調教]]、訓練の意味もあり日本語のしつけと同じである。
 
 
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しかし、いずれ躾がなければ、[[人間]]としての存在価値にも関わる事もあるため、児童教育における躾は、社会的な[[道徳]]観念や[[作法|マナー]]の不足が懸念される現代にあっては、その重要性が再認識される傾向にもある。
 
ただしあらゆる面で力の弱い子どもの側からすれば、「しつけ」と称した親からの一方的な理不尽な扱いへの抗弁が難しいため、行使には極めて慎重さを要するともいえる。
 
なおこれらの躾は、様々な社会規範([[規則|ルール]])に則り各々が体系化されているが、これを総合的に家庭内で教えていくことを'''[[家庭教育]]'''ともいう。
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しつけが伝統的に様々な方法が考案され利用されて来たため、時代によってはその方法が問題視されたり、逆に苛烈さを増す事もある。
 
ただ、しばしば誤解されるところではあるが、しつけは社会性の教育であって「大人(保護者)の都合」を子どもに強いるための行為ではない。[[児童虐待]]で逮捕された親の多くが取調べに対して「しつけだ」と弁解しているが、そのほとんどにおいて主張の妥当性は認められず、暴行であるとして有罪となっている。
 
===紐===
紐を使った躾には、様々な種類が存在するが、その内容によっては問題視されている。
 
;安全のため : 歩き始めたばかり幼児の安全を確保するため、上半身あるいは腰を縛っておく紐を「'''しつけ紐'''(または'''歩行練習紐''')」という。その体を縛っているというニュアンスが「犬の散歩みたいだ」等としてひっかかる向きには、幼児の背負う[[リュックサック]]やベルト・吊りズボン等の衣服に紐を取り付ける物も[[日本]]国内ではよく見られる。特に近年では、外出時に幼児が親の目の届かない所で変質者に連れ去られる事件も起こっている事から、手繋ぎの延長として、これら紐を用いる人も増えている模様である。しかしごく稀に、これら紐が何かに絡まる・予期しない子どもの行動に親が対処しきれないといった問題もあり、この紐にまつわる事故事例も報告されている。このため、[[公園]]等では紐が[[児童公園|遊具]]に絡んだりしないよう気を付ける・交通量の多い場所では親が子どもの手を直接引くなどの配慮が必要との警鐘も鳴らされている。
 
;マナー : また[[欧米]]では、テーブルマナー学習の一環として、児童が食事をする際に、椅子に縛り付けるという躾の手法が存在する。これは食事の作法として
*食事の際は無闇に席を外さない
*腕を大きく動かして食事をしない(日本での「食卓に肘を付かない」に相当)
: といった事を体で覚えさせようというもので、厳密には罰しているわけではない。ただし、マナーのために縛り付けても罰のために縛り付けても、子どもの側からすれば身体を強制的に拘束されているということに変わりはないのもまた事実である。
 
;罰 : 椅子や柱などに(身動きできない形で)縛り付ける行為は、
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*親は自分に害をなす存在だとの認識が根付く
*親への不信感、嫌悪感、復讐心が芽生える
:等により、健全な[[精神]]の発達や、躾の一貫性という面で不整合を発生させ、児童の規範意識における成長を妨げる可能性が指摘されている。たとえば「親は自分を身動きできないように縛り付ける→親は自分に害をなす存在である→害をなす存在のなすことは間違っていることであり、従う必要はないまたは害をなす存在の言うことには従いたくない」「親は自分を身動きできないように縛り付けた→自分をこんな目に遭わせた親を恨まずにはいられない」といった具合である。[[ジャン=ジャック・ルソー]]や[[イマヌエル・カント]]などにも、教育、しつけの手段として子どもを紐で縛ることは好ましくないし、やるべきではないとの言葉がある。自室や物置・押入れへの一時的な監禁も同様である。
 
===触って良い物・悪い物===
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*なお各種メディアから受ける精神的影響に関しては、米国を中心とした海外で問題視されるようになり、これに付随して[[コンピュータゲーム|ゲーム]]や[[漫画]]等と言った、児童向け[[サブカルチャー|娯楽文化]]に注目する教育研究者もあるが、対応は始まったばかりである。
 
;欧米 : 一方欧米では、家屋が大きい事や、親が子どもの生活に合わせるのではなく、子どもが親を含む社会のあり方に対応して行くのだという観点から、敢えて触るべきではない危険な物品を、隠したりはしない傾向が強い。勿論、殺傷性の強い[[拳銃|銃器]]などは、防犯上の理由も在って例外的に隠されているが、それらを児童が取り出して弄っている内に暴発するなどの事故が度々起きている事からも、けっして危険物を子どもから隔離しているのではない事情が覗える。この場合のしつけ方としては'''見ているだけよ'''という物があり、手を触れると叱られる物品を親が予め子に教え、それを敢えて触るようなら、手が腫れるほどにたたいて、もう触らないと誓わせる方法が取られている。この方法では体罰を含み、また親の目が届かない所で危険な物品に触れる事による事故を事前に予測できない部分を含むため、近年では危険の度合いによって隠したりする傾向もあるが、火傷や切り傷などの「弄れば自分が痛い目に会う」種類の危険物は、そのままにしておく事が多いようである。
*なお欧米における各種メディアへの対応は、古くより親が「見ても良い物」「見てはいけない物」を規制する傾向が強いが、近年では生活習慣の違いから、親の規制が届かない所で子が有害情報に浸るケースも増え、社会問題視されている。