「セント=ジェルジ・アルベルト」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Sayosayo (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
10行目:
1931年には[[セゲド]]大学に職を得、ここで研究員とともに地元特産の[[パプリカ]]から大量精製した"hexuronic acid"が構造的にはL-[[アスコルビン酸]]であること、またこれが以前から知られていた抗[[壊血病]]因子であることを明らかにし、ビタミンCと命名した。同時に細胞呼吸の研究を続け、[[フマル酸]]などが呼吸反応(のちに[[TCA回路]]と呼ばれる)で重要な段階をなすことを発見した。1937年、これらの業績(生物学的燃焼、特にビタミンCとフマル酸の触媒作用に関する発見)によってノーベル医学生理学賞を受けた。
 
1938年には筋肉の[[生物物理学]]的研究を開始し、研究員の[[シュトラウブ・ブルノー]]とともに、2種類の[[タンパク質]]・[[アクチン]]と[[ミオシン]]が会合すると[[アデノシン三リン酸|ATP]]をエネルギー源として収縮することを発見した。
 
ファシストがハンガリーで権力を握ると、セント=ジェルジは[[ユダヤ系]]の友人を逃がす活動を始めた。さらに[[第二次大戦]]末期には首相に依頼され、[[連合国]]との和平交渉の密命を帯びて(表向きは講義のため)[[イスタンブール]]へ赴いた。この計画は[[ドイツ]]に知られ、[[ヒトラー]]が逮捕命令を出したため、彼は終戦まで逃亡生活を送る。