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'''経塚'''(きょうづか)とは、[[経典]]が土中に埋納された[[遺跡]]である。[[仏教]]的な作善行為の一種で、経塚を造営する[[供養]]のことを
== 概要 ==
仏教経典を書写する[[写経]]は国家仏教中心の[[奈良時代]]には官営事業として行われていたが、[[平安時代]]には[[浄土思想]]が普及し、個人的な祈願成就を目的に行われるようになった。平安中期には流行した、[[永承]]7年
埋納される仏経典は主に[[法華経]]であるが、『[[般若心経]]』『[[阿弥陀経]]』『[[弥勒経]]』『[[大日経]]』『[[金剛頂経]]』『[[理趣経]]』などが用いられることもあり、『無量義経』や『観音堅経』などの
経筒は小型の筒型であるが、箱型六角形のものや装飾が施された宝塔形のものもあり、上部に蓋がされる。経筒はさらに金属製や陶製、竹製などの外容器で入れ子にされることもある。埋納は、[[和鏡]]、銭貨、[[刀身]]、小仏、[[玉]]などの副納品や[[除湿剤]]として充填される[[木炭]]とともに
== 起源から中世まで ==
日本での造営は、[[寛弘]]4年([[1007年]])、[[藤原道長]]が[[大和国]][[金峰山
12世紀を盛期に一時衰退するが、中世には[[廻国聖]]が諸国で納経活動を行って庶民の間で広まり、[[現世利益]]や[[追善供養]]の意味が加わる。
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