「武田元繁」の版間の差分

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元繁は陣を築き[[熊谷元直]]を配置、自らは主力を率いて有田城を攻撃。熊谷元直率いる武田軍は毛利・吉川連合軍と戦端を開くも、元就の見事な用兵により壊滅、元直は討死という燦々たる敗北を喫した。敗戦の報に激昂した元繁は、自ら軍を率いて毛利・吉川連合軍を攻撃。優勢に戦を進めるも又打川を渡る際に流れ矢に射抜かれ落馬、討死という悲惨な最期を遂げる。([[有田中井手の戦い]])この元繁討死によって武田家は武田光和が相続するが、安芸武田氏は衰退し後に強大化した[[毛利氏]]により滅亡の憂き目を迎えることとなる。
武田氏の遺児である[[安国寺恵]]は、寺にあって無事であったが、後に毛利氏の外交僧となり、関ヶ原の戦いで西軍方首魁の一翼を担う武将となる。
 
==関連項目==