「地方知行」の版間の差分

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これに対して、幕府では地方直を行って旗本の知行を蔵米知行から地方知行に改めることでこれまでの働きに対する恩賞として、旗本たちの歓心買うとともに将軍への忠誠を高めようとした。
 
[[徳川家康]]の[[関東地方|関東]]移封後に伴う[[天正]]19年([[1591年]])の所領の再配分と[[関が原の戦い]]と[[大坂の陣]]の両戦後に行った[[親藩]]・[[譜代大名]]及び旗本に対する広範囲のな加増・転封についても地方直としての側面もあるが、江戸幕府が地方直を目的として大規模に行ったものとしては、[[寛永]]10年([[1633年]])と[[元禄]]10年([[1697年]])に行ったものである。
 
== 地方知行の性格 ==
地方知行の性格については[[歴史学者]]の間でも意見が分かれるが、大きく分けると、土地で知行を与える行為を中世のものとみなし、地方知行を中世の制度の名残として次第にそこから脱却して[[近世]]的な蔵米知行に移行していった考える説と、大名知行がその知行の全部あるいは一部分を必ず土地をもって与えていることから地方知行を近世[[幕藩体制]]の根幹とみなして蔵米知行はそれを補うものに過ぎないとする説の2つがある。