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江戸時代初期には諸藩においては地方知行を行う例が多く蔵米知行は下級家臣に限られていたが、次第に大名の支配権力と財政基盤の強化のために上級家臣に対しても地方召上を行って蔵米知行に変更されることが多くなった。[[元禄]]期の作とされる『[[土芥寇讎記]]』によれば、当時243の藩のうち地方知行が行われていたのは[[外様大名]]系の大藩を中心とした39藩に過ぎなかったとされている。ただし、前述のように地方召上には懲罰的な意味合いを持つケースもあったために、移行の際のトラブルが[[御家騒動]]に発展する可能性もあった。
 
これに対して、比較的余裕を有していた江戸幕府では地方直を行って旗本の知行を蔵米知行から地方知行に改めることでこれまでの働きに対する恩賞として、旗本たちの歓心買うとともに将軍への忠誠を高めようとした。
 
[[徳川家康]]の[[関東地方|関東]]移封後に伴う[[天正]]19年([[1591年]])の所領の再配分と[[関が原の戦い]]と[[大坂の陣]]の両戦後に行った[[親藩]]・[[譜代大名]]及び旗本に対する広範囲のな加増・転封についても地方直としての側面もあるが、江戸幕府が地方直を目的として大規模に行ったものとしては、[[寛永]]10年([[1633年]])と[[元禄]]10年([[1697年]])に行ったものである。