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'''小山敬三'''(こやま けいぞう、[[1897年]](明治30年)[[8月11日]] - [[1987年]](昭和62年)[[2月7日]])は、昭和期の[[洋画家]]。
国際結婚をしたことでもしられる。実子はない。
父と祖父は、小山九左衛門(襲名)と称した小諸の豪商であり、商家でありながら、馬廻格の士分待遇を小諸藩から受けていた。
==年譜==
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: 生まれ故郷の小諸市に代表作を寄贈し、その作品を展示する小諸市立小山敬三美術館が完成(設計は、文化勲章受章者の建築家[[村野藤吾]]による)。
*[[1987年]](昭和62年)神奈川県で逝去。
==親族と、受賞の批判==
自由民主党・三木武夫派の大番頭といわれた三木内閣の官房長官[[井出一太郎]]の妻は、小山九左衛門の女子である。
このため、井出一太郎と、小山敬三は、近親となる。
井出一太郎が内閣官房長官の在任中に、文化勲章を受章した。
==主な作品==
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