「岡部芳幸」の版間の差分

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== エピソード ==
 
*現在の競輪界において、[[福島県|福島勢]]の活躍ぶりは言わずと知れたところであるが、そのきっかけを作ったのが岡部であるといえる。岡部が日本選手権を優勝する前は、[[金古将人]]が福島勢では最もタイトルに近い選手と言われていたが、岡部が2000年の日本選手権を制覇した後、同年の[[読売新聞社杯全日本選抜競輪|全日本選抜競輪]]では金古が優勝。さらに翌年の[[オールスター競輪]]では伏見俊昭が、2003年の読売新聞社杯全日本選抜競輪では[[佐藤慎太郎]]が優勝したことを考えると、岡部の優勝をきっかけとして他の同県選手がそれに続いたといっても過言ではない。
 
*福島勢には「道場」と言われる師弟グループが3つ存在していると言われ(斑目秀雄、[[添田広福]]、[[谷津田陽一]])、前述の通り、岡部と伏見は斑目が師匠だが、佐藤慎太郎、[[山崎芳仁]]は添田の弟子であり、同県でありながらもグループ(道場)が違うということで微妙な人間関係になっているといわれる。とりわけ2006年の[[高松宮記念杯競輪]]準決勝において、道中で山崎と岡部の連係が切れたことに端を発して岡部に対する風当たりがきつくなったと言われ、さらに同年の[[共同通信社杯競輪]]において、岡部が山崎を捲り切ったばかりか、岡部マークを得て優勝した[[熊本県|熊本]]の[[合志正臣]]に対して盛んに祝福した光景が見られたことから、福島勢内における関係に溝が入っていることは決定的と言われるようにもなった。以後、岡部は福島勢のみならず、北日本地区の選手と同乗しても孤立するケースがしばし見られる。