「フィレンツェ歴史地区」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎主な構造物: テンプレート化。
28行目:
13世紀から16世紀にかけての繁栄の中で残された歴史的建造物は、いまでも大切に保存されフィレンツェ歴史地区をかたちづくっている。ロッジア・デイ・ランツィやポンテ・ヴェッキオは中世商業都市を象徴し、パラッツォ・ヴェッキオ、シニョーリア広場は自治の歴史を思い起こさせる。また[[ウフィツィ美術館]]はルネッサンス芸術の宝庫、ピッティ宮は大公国時代の華麗な遺産である。[[サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂]]は、フィレンツェ全盛期の歴史をみまもってきた。地区全体が歴史遺産として登録された理由はたゆまない都市建設の偉業によってである。
 
== 主な構造物 ==
=== サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 ===
'''詳しくは[[{{main|サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂]]を参照'''}}
 
花の聖母マリアの意味を持つ大聖堂は、[[1296年]]に、アルノルフォ・ディ・カンピオの設計により着工。
 
=== ヴェッキオ宮殿 ===
14世紀の始めにフィレンツェの政庁舎として建築され、現在は市庁舎として使用されている。3層の石造建物で塔の高さは94mある。
 
宮殿前にシニョリーア広場は、中世のフィレンツェの政治の中心であった。[[ジロラモ・サヴォナローラ]]が火あぶりの刑に処せられた場所でもある。[[ミケランジェロ・ブオナローティ]]のダヴィテ像が置かれていたが、現在置かれているものはレプリカ。
 
=== ウフィツィ美術館 ===
[[Image:Sandro_Botticelli_046.jpg|thumb|270px|ヴィーナスの誕生]]
 
'''詳しくは[[{{main|ウフィツィ美術館]]を参照'''}}
 
近代式の美術館としてヨーロッパ最古といわれる。建物はもともと、[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]の設計で1560年に着工し、1580年に完成したフィレンツェ共和国政府の政庁舎だった。したがって、ウフィツィ(Office)の名がつけられた。
50行目:
ウフィツィ美術館の中心には、'''トリブーナ'''と呼ばれる真珠貝が散りばめられたドーム空間が広がっている。もっとも広い部屋は、'''ボッティチェッリの間'''とも呼ばれ、サンドロ・ボッティチェッリの作の『[[ヴィーナスの誕生]]』が飾られている。またメディチ家の結婚祝としてボッティチェッリが描いた『春』も所蔵されている。
 
=== ピッティ宮殿 ===
アルノ川の南岸に建つ[[ピッティ宮殿]]は、ルカ・ピッティがブルネレスキに依頼して建築し、16世紀半ばにメディチ家が購入し、歴代トスカーナ大公の居館となった。その後数回の改築を経て18世紀ごろに現在の形となる。現在は、2つの美術館と5つの博物館になり、ヴェッキオ宮殿からウフィツィ美術館とは、[[ヴァザーリの回廊]]で結ばれている。
 
=== ボーボリ庭園 ===
ピッティ宮殿の背後に広がる。コジモ1世が、肺結核の妻の療養のために16世紀半ば造営したといわれている。広さは45,000m²。
 
=== サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 ===
[[Image:FlorenceSantaMariaNovella20020318.JPG|thumb|270px|サンタ・マリア・ノヴェッラ教会]]
 
'''詳しくは[[{{main|サンタ・マリア・ノヴェッラ教会]]を参照'''}}
 
[[ドミニコ会]]の修道僧が設計し、14世紀後半に完成したゴシック様式の聖堂である。建物正面は、15世紀半ばアルベルティによる改装を受け、現在の姿になる。
65行目:
またレオナルド・ダ・ビンチが3年間暮らし、[[モナリザ]]の製作を行った場所としても有名である。
 
=== サンタ・クローチェ聖堂 ===
14世紀後半に完成したゴシック形式の聖堂。建築家アルノルフォ・ディ・カンピオの設計である。堂内には、ミケランジェロやガリレオ、作曲家のロッシーニなどの著名人の墓が多数あることでも知られている。