「テハーノ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Gogokoba (会話 | 投稿記録)
英語版より追加
3行目:
1821年、[[メキシコ独立革命]]の終わり、テキサスにはおよそ4,000人のテハーノが住んでいた。1820年代、多くのアングロ(イギリス)系入植者が合衆国からテキサスに移り、1830年までテキサスの入植者は30,000人となり、テハーノの数を6倍以上上回った。アングロ系入植者とテハーノは、[[メキシコシティ]]の[[中央集権]]体制と[[アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ|サンタ・アナ]]政権の実施した厳格な措置に、同様に反抗した。このメキシコ中央政府対入植者とテハーノの間の緊張は、最終的には[[テキサス革命]]に結びついた。
 
今日のテハーノは、その民族性により、[[ヒスパニック]]、[[チカーノ]]、メキシコ系アメリカ人、スペイン人、ラティーノとさまざまな呼称で分けて考えられる。田舎のコミュニティと同様に都会のエリアでも、テハーノはヒスパニックとアングロアメリカンの文化の両方にうまく溶け込んでいるように見受けられる。今日のテハーノの末裔たち、特に若い世代では、スペイン語を話す人口はほとんど見られない
 
==著名なテハーノ==