「インディアン移住法」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
cat.
Gogokoba (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
8行目:
 
移住法の条項の下で批准されたさまざまな条約が、数万人のインディアンを気の進まない、しばしば強制的な西部への移住に導いた。移住法の後に調印された最初の移住条約は、1830年9月27日のダンシング・ラビット・クリーク条約([[w:Treaty of Dancing Rabbit Creek]])で、ミシシッピ州の[[チョクトー]]族が西部の土地と補償金と引き換えに川の東側の土地を割譲した。1835年に調印されたニューエコタ条約([[w:Treaty of New Echota]])は、[[涙の道]]として知られるチェロキー族の大移動をもたらした。インディアンは西部への移住により多くの犠牲者を出し、彼らのいなくなった南部の広大な土地は綿花地帯となった。
 
==外部リンク==
 
* [http://www.loc.gov/rr/program/bib/ourdocs/Indian.html Indian Removal Act and related resources], at the Library of Congress''
 
 
[[Category:アメリカ合衆国の先住民族|いんていあんいしゆうほう]]