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'''アンドロニコス1世ギド'''(Ανδρόνικος Α', Andronikos I Gidos, ? - [[1235年]])は、[[トレビゾンド帝国]]の第2代[[皇帝]](在位:[[1222年]] - 1235年)。初代皇帝[[アレクシオス1世 (トレビゾンド皇帝)|アレクシオス1世]]の娘婿。
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{{otheruses|[[トレビゾンド帝国]]の第2代皇帝のアンドロニコス1世|[[東ローマ帝国]]の皇帝のアンドロニコス1世|アンドロニコス1世コムネノス}}
 
'''アンドロニコス1世・ギドン'''(? - [[1235年]])は、[[トレビゾンド帝国]]の第2代[[皇帝]](在位:[[1222年]] - 1235年)。初代皇帝[[アレクシオス1世]]の娘婿。
 
1222年、義父の後を継いで即位する。この頃のトレビゾンド帝国はシノピの戦いでアレクシオス1世が[[ルーム・セルジューク朝]]に大敗したことから、その服属下に置かれていたが、アンドロニコス1世はこの窮地を脱するため、シノピ奪回の軍を差し向けたのである。ところが、セルジューク軍の逆襲を受けて軍は壊滅し、逆にトレビゾンドを包囲されてしまった。トレビゾンドの残存兵や住民の激しい抵抗、嵐の襲来などもあって攻めあぐねたセルジューク軍はトレビゾンドの包囲を解いて撤退したが、これによってトレビゾンド帝国は黒海沿岸を領する小王朝に成り下がってしまったのである。