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→歴史
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3行目:
==歴史==
ケントゥリアがローマ軍の基準として生まれるのは[[
ガイウス・
マリウス
]]
の軍制改革
]]
から始まる。それまで兵士各自の所得に応じて区分されていた軍団を再編成、今まで兵役を免れていた無産階級にも登用の門戸を開き、貧富の差、年齢の区別をなくし、それまで軍の中心的役割を担っていた[[マニプルス]]に代わり[[コホルス]]とケントゥリアがローマ軍の要となった。マリウスはまた、この配下のケントゥリアを自分の政治的基盤とし、大いに活用した。
== ラテン語 ==